《エ? 元セイントフォー? 岩男潤子が!?》
彼女を主演候補に選んでいた今敏は、後からその経歴を知った驚きを「戦記」の中でこう綴っている。セイントフォー、というアイドルグループがかつて存在したことを知らない世代も多いだろう。今ではアイドル出身の声優も珍しくなくなったが、岩男潤子の場合はアイドル時代のファンを引き連れて転身するような華々しいものではなかった。
《歌う角兵衛獅子と言われた、あの何億円だかのハズレくじと言われたあのセイントフォーの一員だった!?》(同前)
今敏が「歌う角兵衛獅子」と書くのは、ステージで側宙やバック転などのアクロバットを披露するために、メンバーに厳しい訓練を課すグループであったからだ(その様子は朝ドラ『あまちゃん』で紹介されたことがある)。そして大々的に売り出すために事務所が多くの投資をしたにも関わらず、思うように人気が伸びなかったことでもよく知られる。
ファンからの罵倒、グラビア強要…不遇のアイドル時代
しかも岩男潤子は、グループの人気が低迷する中で、脱退するメンバーと入れ替わりに加入した追加メンバーであり、ファンからは激しいバッシングを受けた。彼女が声優生活20周年に出版したフォトエッセイ『voice ー声のツバサー』では、「衣装を受け継いで着ていることが許せない」「ぶりっこ声が嫌い」などと握手会で面と向かって罵倒された経験が回顧されている。
だが、当時16歳だった岩男潤子にのしかかるプレッシャーはそれだけではなかった。商業的な成果が出ないまま解散が決まり、それを機に事務所からきわどいグラビア写真の仕事を暗に求められるようになる。岩男は耐えかねて寮を逃げ出すが、定時制高校の正門前で待ち構えていた事務所のスタッフに「グラビアで脱いで何倍にもして返してね」と要求されたという。彼女は限界を感じ、解散コンサートを待たずにグループを脱退した。
そうした彼女の過去は、『パーフェクトブルー』の主人公・霧越未麻と重なる部分が多い。何も知らないまま起用した今敏は、作品と役者のシンクロを確信して「戦記」にこう書いている。
《当たりくじ。直感した。セイントフォーはハズレだったかもしれないが、彼女は当たりくじに違いない》
その今敏の直感は当たる。
《岩男さんの芝居は若干作り過ぎであったとは思う。オーディションのテープを聞いたときから懸念されていたことではあったし、一生懸命さが空回りしている部分もあったのであろう。未麻を演じようという意識が強すぎたのかもしれない。
おかしな言い方ではあるが、そのひたむきさというか真面目さに「未麻」を彷彿とするところがあった。嘘じゃあないよ。》(同前)
今敏監督が驚いた「演技の変化」
「戦記」の序盤で第一印象をそう書いていた今敏はアフレコが進むたびに霧越未麻と共鳴するように役に没入し、演技の変化を見せていく岩男潤子に対する驚きを綴っている。