《ともかく岩男さん、熱演である。少々のニュアンスの違いなど気にもならないような怒濤の悲鳴。喉は大丈夫なのか?
本田雄“師匠”が原画を担当してくれた作品中盤のラジオ局内での追っかけシーン。息せき切って走る未麻。岩男さんの荒い息づかいは臨場感があり必死な様が良く伝わる。》
《細かい部分では多少の違和感はあったが、録りが進むにつれ岩男さんも未麻に馴染んできたようであった。テレビシリーズなどと違って、そういう声優さんとキャラクターの「おいしい関係」は、こうした単発物では少ないのが残念だ。
それに私がイメージできていなかった部分を岩男さんが考える未麻、というより岩男さんの中にある「未麻像」で埋めてもらった部分も多かったような気もする。ありがとう、セイントフォー。おいおい。》(同前)
そして迎えたラストシーン。当初は未麻がトラックに轢かれて死ぬというショッキングな結末が予定されていたが、今敏は脚本を書き直し、未来に向けて生きていく未麻の姿を描いた。セリフの収録では、
《岩男さんは大人の未麻を演じた。意外であった。》《「大人の未麻」であることに何ら問題はないはずだ。しかも。より、良い。》(同前)
と、自分の予想を超える岩男潤子の演技に舌を巻く。
2023年に発行された『声優グランプリ platinum』のインタビューの中で、彼女は収録当時の心理状況について語っている。
――未麻は精神的に追い詰められていきました。
プライベートで実際に恐ろしい経験をしたことがあって、そのときの怖さがリアルによみがえりました。
――フォトエッセイ集に書かれていたストーカーのことですか?
はい。家の中に知らない人がいて、母親と追いかけたことがあるんです。その経験が、未麻の「あなた誰なの?」というセリフや商店街を裸足で走る場面に重なりました。
作品が完成したときに流した涙
《本当に未麻がいるみたいに思えて、とても嬉しいです》。今敏の早すぎる死の後、2011年に出版された『今敏 アニメ全仕事』の中で、岩男潤子は彼からそう言葉をかけられた記憶を振り返っている。そのインタビューによれば、今敏監督が彼女のこれまでの人生の経緯を深く聞いたのは、アフレコがすべて終了した舞台挨拶の楽屋での会話だったという。
《完成した作品を観たときは、ぽろぽろ泣いていましたね。あまりにもいろんなことがリアルだったので、この中に私の魂も入っているんだと思えて、胸がいっぱいになりました。(中略)たくさんのつらさを乗り越えられたのも、壁を打ち破れたのも、この作品が待っていてくれたからなのではないか、と感じました》(『今敏 アニメ全仕事』)
舞台挨拶の楽屋で岩男潤子の過去を初めて知った今敏監督は、《この作品を作るときに岩男潤子ってもっと早く決まっていたら、僕は歌を歌って欲しかったな》と言ったという。
劇場映画として完成した『パーフェクトブルー』は、日本公開よりもいち早く、カナダのファンタジア国際映画祭、ポルト国際映画祭で激賞され、映画賞を次々と受賞する。
この映画はある面においては、激しい性描写や暴力描写のある年齢指定作品だ。だがその一方でこの映画が単なるどぎついサイコホラーではなく、今なお海外で評価の高い普遍的な名作になりえたのは、芸能界を生きる現代女性としての切実な感情を作品にぶつけた岩男潤子と、それに共鳴した今敏の才能の幸運な出会いがもたらした結果だったと思う。