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借金を依頼したが断られ…寝ている男にまたがって殺害

 上州沼田(現群馬県沼田市)在横木村(現渋川市)生まれの高橋お伝という29歳になる年増で、以前亭主の波之助と一緒に国元を出立。横濱で亭主は病気のために死亡。独り身になって明治4(1871)年の10月ごろ、神田仲町の秋元幸吉の家に同居しているうち、小川市太郎という者と夫婦のように深い仲になった。2人で各地をぶらぶらした後、先月初めに新富町3丁目の宍倉佐吉(佐太郎の誤り)の家に2人で同居したが、お伝は4年前、房州(千葉県)館山の船頭・(田中)甚三郎から10円(現在の約6万円)を借り、たびたび返済を催促されていた。

 

 仕方なくかねて懇意にしていた檜物町(現中央区)の古着屋・(後藤)吉蔵をだまして金を借り、甚三郎に返そうと思い、いろいろ策を練った。吉蔵を何度も呼び出したが、吉蔵から「今夜はどこかへ行って一晩泊まってはどうだ」と言われことから、今夜こそ説得しよう、もし貸してくれなければ殺そうと思い込んだ。

 

 カミソリを懐に隠し、二人連れで「丸竹」へ出かけ、「私どもは上州大里郡熊谷新宿の内山仙之助と女房まつという者だ」と偽り、その晩は飲み食いして寝てしまったが、それからいろいろ金の話をしたが、吉蔵が受け付けないため、お伝はこのうえは殺すしかないと覚悟した。翌朝宿の女に「2人とも少し気分が悪いから、きょうは逗留する」と言って、その日の昼ごろ、吉蔵が寝ているのを幸いに、隠し持ったカミソリを右手に持ち、もうこれまでと度胸を据え、スヤスヤと寝ている吉蔵の上にまたがり、夜叉より怖い心の鬼、さて、これからどうなるか――。

事件発生と逮捕を報じる読売

「姉を殺された」とウソの犯行動機を書いた

 1面の記事はここまでで、続きは別の面に載せている。当時の事件記事が事実より読み物としての面白さに重点を置いていたことが分かる。

 持ったカミソリで寝ている吉蔵ののどへずぶりと突き刺すと、これはもうとてもたまらず、のど笛を切られた吉蔵は七転八倒の苦しみ。声を立てようとしたが布団で口を覆われ、その場で息絶えた。

 

 遺体に布団を被せ、でたらめに書き置きを書いて残し、宿の女を呼んだ。「この人は寝ているから、なるべく起こさないようにしておいておくれ。私はちょっとそこまで行く」と言いながら、吉蔵のがま口の中にあった金11円(約6万6000円)を引きずり出し、それを持って表へ出て行った。後で男の死体を見つけた宿の者が書き置きを見ると、こう書かれていた。

 

「この者に5年前、姉を殺され、そのうえ私まで非道の振る舞いを受け、どうすることもできないまま、きょうまで無念の月日を送り、ただいま姉の敵を打ち候なり。いまひとたび姉の墓へ参り、そのうえ、速やかに名乗り出候。決して逃げ隠れるひきょうではなく、この旨お届けくだされ。川越生まれ、まつ」

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 この「でたらめ」の「敵討ち」を、お伝は取り調べでも主張。判事らをてこずらせる。読売の記事は続く。