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「若いから夜の商売あるよね」虐待の後遺症で接客できない女性が行政の生活相談で浴びた信じられない言葉

source : 提携メディア

genre : ライフ, 社会

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こうした支援者や当事者の話を聞き歩くと、そこにも「世帯主主義」の影が見えてくる。

家庭の外に逃げ場がない

2012年3月、女性が男性に気を遣わずに相談し、交流できる場所をつくろうと、「女性による女性のための相談会」の第1回目が東京都内で開かれた。男性による性暴力被害の経験者などにも配慮し、女性労働組合やユニオンのメンバー、医療関係者、弁護士、税理士、議員、ジャーナリストなど、相談に乗る側も女性だけという相談会だ。食料がもらえると聞いてこの場にやってきたのが、当時22歳のユリだった。

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「今日はだれが殴られる?」と姉妹が怯え続けたある家庭

父は自営業、母は専業主婦の中流家庭に育った。3歳のころから、教育熱心な母によってピアノ、バレエ、習字など隙間なく習いごとに通わされ、6歳になると、早朝に起こされて分厚いドリルを解かされた。できないと手が出た。「2人の妹たちと、今日はだれが殴られるかと毎日びくびくする」という暮らしだった。

ユリが小学3年の時、その母が病院で統合失調症と診断された。掃除や料理など、生活の基本は教えてもらえなかった。まともな食事は給食だけで、母が用意すると、何日か前に炊いたご飯と、カレーのルーを溶かさないまま水道水に浸したものだったこともあった。妹たちと近所のスーパーマーケットに出かけ、試食販売で空腹をしのいだ。

父は介入せず、家に帰らない日も少なくなかった。殴られても何も感じなくなり、しばしば記憶が飛んだ。泣くことができず、外から見れば平気でいるように見えるのがつらかった。

何年も後になってから、その時を思い出して、ようやく涙が出るようになった。心理学では、過度につらい体験に遭った時、心の防衛策として体験にまつわる感情などを無意識に意識外へと切り離すことを「乖離(かいり)」と呼ぶ。その「乖離」が起きていたと思う。外に出るともっと恐ろしい目に遭うのではと思うと家を出られなかった。