小学生の15人に1人が「家族の世話」を担い、社会問題として顕在化してきたヤングケアラー。メディアでは身体的な疾患や障害をもつ家族の介護をする子どもがクローズアップされることが多いが、実際には、精神疾患の母親をケアするケースも多い。介護や家事労働だけが「ケア」ではないのだ。

 ここでは、ヤングケアラー経験者たちの言葉に丁寧に耳を傾け、その実態を記した大阪大学人間科学研究科教授・村上靖彦氏の著書『「ヤングケアラー」とは誰か 家族を“気づかう”子どもたちの孤立 』(朝日新聞出版)より一部を抜粋してお届けする。(全2回の2回目/1回目から続く) 

写真はイメージ ©iStock.com

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外から見れば「ネグレクト」でも

村上 話しやすいところから話していただけたらと思うんですけども。

 

ショウタさん 母親と、物心がついたときから、父親と離婚してて。僕がもっとちっちゃいときは。もっと小さいときは父親と母親と一緒に住んでたみたいなんですけど、離婚しちゃって、物心ついたときには母親と2人暮らしでしたね。その頃はX区のほうに住んでいて。母親が働きながら、一緒に暮らしてはいたんですけど。

 

(……)僕が小学校入る手前ぐらいから、母親がうつ病になってしまって。なってしまったというよりかは、昔、僕が生まれる、もっと前にうつ病になっていたみたいなんですけど、結婚してから、僕が生まれたくらいには、うつ病はだいぶましになって、寛かん解かいはしてたんですけど。父親と別れて、仕事をしながら僕の面倒を見てくれてたんですけど、うつ病が再発してしまって、そこからは生活保護を受けて暮らすようになりました。

 ショウタさんは深刻なうつ病を患った母親をひとり親家庭の1人っ子として支えたヤングケアラーであり、現在20代後半の会社員の男性だ。インタビューはかつて彼が1年間社会的養護(実親が何らかの理由で子どもを育てられないときに公的機関等が養育を行うこと)として滞在したことがある、認定NPO法人こどもの里の2階にある「しずかなおへや」で行われた。

 ショウタさんはかつて1年間ファミリーホームを利用した。こどもの里の代表である荘保共子さんのご紹介で、ショウタさんはお休みのときにわざわざ時間をとってくださった。語りは非常に困難な生活の描写が続くのだが、語りぶりは終始冷静だった。

 冒頭「話しやすいところから」という私のオープンな問いかけに対して、ショウタさんは「母親と、物心がついたときから」と語り始めた。このことは、ライフヒストリー全体が母親を軸としていることを暗示している。関連して、「僕の面倒を見てくれてた」の「~くれてた」は、ショウタさんが母親から受けた愛情を表現する言葉づかいであり、これから頻出する。外から見るとネグレクトに見える状況も、ショウタさんは一貫して「面倒を見てくれて」と反転していく。