母は「心配になる存在」だった
「母親がうつ病になってしまって」と簡潔に述べられたのだが、このあとにショウタさんが経験したことから考えると、非常に深刻な状態だったとわかる。母親自身が大きな苦しみのなかにいたということは強調してよいだろう。
言葉づかいの特徴には「~けど」という語尾の反復もある。「~けど」と家族構成の変化や母親の病などさまざまな困難をともなう状況が提示されて、その条件のもとで母親のうつ病が再発したということが語られる。
また、小学校の頃までを語った前半部分の語りでは、「~かな」「~みたい」「多分」という表現がしばしば登場する。母親に対する思いはクリアなのだが、事実関係の日付やその頃のショウタさん自身の様子など、少しもやがかかったようなあいまいな状況のようだ。
語りのなかで感情が表現されることはほとんどなかった。そのため、一通り幼少期から現在までを語っていただいたときにまず私が問い返してみたのは、大きな生活の困難を抱えていた子どもの頃にショウタさんはどのような感情を持っていたのかということだった。
村上 どんな気持ちだったの? 母親に対してっていうか、お母さんに対してもだけど、全体としてどんな思いで、ちっちゃい頃、過ごしてたのかなって。
ショウタさん 母親はめっちゃ多分、好きやったんですね。保育園生のときなんかは母親にべったりみたいな感じ。母親から離れたくないみたいな感じなんですけど。小学校に入ってからは別に離れたくないってわけじゃないけど、でも、好きやったし。母親がしんどい思いしてるんやったら、心配になるしみたいな感じですかね。
私の「どんな気持ちだったの?」という「気持ち」を尋ねたやはりオープンな問いかけに対するショウタさんの答えは、「母親はめっちゃ多分、好きやった」というものだった。ここでも母親が主題であることを、ショウタさんは抑制された語りで明示している。そして「しんどい思いしてるんやったら、心配になる」とヤングケアラーとしての気づかいを示す。「心配になる」ことはケアそのものである。母親はまずもって、心配になる存在だったのだ。
寝込んでしまったうつ病の母
ショウタさん 小学生に上がったぐらいから、すごいうつ病でしんどくなることが多くて。僕は保育園に通ってたんですけど、保育園児のときは毎週、土日、どっちかは遊びに連れていってくれてたような母親だったんですけど、うつ病でしんどくなって、どこも連れていけないみたいな感じにはなっていて。
よく、一番、衝撃的だったのは、衝撃的っていってもあれなんですけど、家から帰ってきたときに、母親が自分の胸に包丁突きつけてたんですね。だいぶ、何ていうのかな。興奮してたような感じで、結構、彼氏ができたり、別れたりとかしてたんですけど、そのときの彼氏を「呼べ」みたいな感じになってて。そういうこともあって、なかなか母親を目離すことが難しいというか、『ちょっと心配やな』っていう感じにはなってました。
母親もちょっと、うつ病でなんか分からないですけど、3日から1週間ぐらいまで、たまにずっと寝る週があるんですね。そういったときも、僕1人でというか、ご飯作らなあかんかったりとかするし、母親の分のご飯なり、飲み物なり、用意はしなきゃいけないってことはありましたね。