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《結婚して子どもができたら、急に世間は私はママタレントとして見るようになって……いただける仕事も、家の冷蔵庫を見せてほしいとか、母として何かやってほしいとかばかり。/でも、私としては一人の女性として、もっと仕事をしたい。俳優として頑張りたいという思いがあったんです。収入がなくなってしまうという不安もありましたし、まさに暗黒期でした》(『週刊大衆』前掲号)

 それでも彼女は自らの手でそうした状況を打破し、いまや俳優業のほか飲食店のプロデュースなど出産前以上に幅広く活躍している。

グラビアアイドル時代のMEGUMI ©文藝春秋

「あなたは歌はいまいちだけど、胸が大きいから…」

 若い頃から、こうと決めたらすぐ実行に移してきた。16歳のときには、ブラックミュージック好きが高じて歌手になろうと思い立ち、地元の岡山から単身、ニューヨークに渡った。3ヶ月の滞在中は週1回、教会で10ドルを払ってゴスペルを教わり、みんなで輪になり手拍子に合わせながら、即興で自分の思っていることを歌ったという。

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 帰国後は歌手になりたいという思いがますます高まり、18歳で上京した。バイトをしながらボイストレーニングに通い、レコード会社のオーディションを受けまくる。だが、ことごとく落ちてしまい、崖っぷちに立たされる。

 このとき、ボイストレーニングの先生から「あなたは歌はいまいちだけど、胸が大きいから、会ってみたらどうかしら」と紹介されたのが、芸能事務所・イエローキャブの野田義治社長(当時)だった。

 先生に「歌はいまいち」と言われたことがMEGUMIにはショックだった。また、胸が大きいことは高校時代からずっとコンプレックスであり、自分がグラビアをやるなんてことは考えたこともなかった。しかし、「グラビアをやってから歌手になる人もいる」との先生の言葉に心を動かされ、イエローキャブの面接に赴く。

いきなり写真集の海外ロケへ

 面接では野田社長が一方的に芸能界の厳しさや楽しさをしゃべり続け、最後に「よしわかった! また連絡する」とだけ言われて終わったという。それからしばらく何の音沙汰もなかったが、1ヶ月ほど経って、社長から「来週から写真集の撮影でサイパンに行ってもらう」といきなり伝えられた(MEGUMI『MEGUMI Present time 垂れない落ちない女子の生き方』幻冬舎、2011年)。

 それまでグラビアやそういうものをつくっている人たちに対し偏見を持っていた彼女だが、それも実際に撮影現場を経験して一気に覆された。

『meg―MEGUMI写真集』(アクアハウス、2001年)

《力のあるプロたちが自分の持てるものを結集して、チームでひとつのものをつくり上げていく。厳しいものづくりの現場がそこにはありました。そういうところに身を置いて仕事をすることの楽しさに目覚め、自分という素材をいかに料理するかをみんなと一緒に考えていく作業に喜びを見出してしまったら、もう恥ずかしいだの何だのと言ってる場合じゃない。料理しがいのある素材にならなければ、と、そう思うようになったんです》(『婦人公論』2004年5月7日号)