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《一連の「検証」を振り返ると、次の国葬は当面ないと踏み、国民の記憶が薄れるに任せているとしか思えない。防衛政策や原子力政策、デジタル化も同様だ。異論を封じ、政権内の意見調整だけで重要案件を次々と推進し続けている。首相自身の約束も、十分な説明責任も果たさない。》(同前)
今の態度にもすべて通じていると指摘されている。やはり岸田首相にとって「国葬」は大きな分岐点だった。
では、あらためて考える。国葬と内閣・自民党の合同葬のどちらがふさわしかったのか。実は国葬当日にヒントがあった。
「国葬」が歴史に刻んだもの
菅前首相は安倍氏の遺影に向かい「あなたの判断はいつも正しかった」と述べた。大きなポイントだった。あの言葉が自民党葬なら違和感はなかったろうが、国葬だと不自然に思えたからだ。
故中曽根康弘氏は「政治家の人生は、その成し得た結果を歴史という法廷で裁かれることでのみ、評価される」と言った。政治家の評価は長い時間が必要なのだ。身内の評価だけで盛り上がるなら内閣・自民党の合同葬がよかったのではないか。もしくは佐藤栄作モデルの「国民葬」だ。内閣と自民党、国民有志が共同で実施、費用はそれぞれが支出したものである。
これなら税金投入は少なくなるし、国民有志からかなり費用が集まったのではないか? 合同葬か国民葬ならあれほどの賛否は起きず、粛々と安倍氏をおくる儀式ができたのではないか。岸田首相のひたすら曖昧な態度が歴史に刻まれたのが国葬だった。