安倍晋三元首相の「国葬儀」から明日9月27日で1年が経つ。
もう一度おさらいしよう。
《国葬は国に功労のあった人の死去に際し、政府が主催し全額国費で執り行う葬儀だ。正式には「国葬儀」と呼ぶ。どのような基準で国葬を催すのかを定めた法律はない。》(日経電子版2022年9月26日)
「国葬」ではなく「国葬議」
報道各社は「国葬儀」ではなく「国葬」と報じた。この流れは時系列で振り返るとわかりやすい。
当時を思い起こすと、ここしばらく歴代の首相は内閣・自民党の合同葬だったのに安倍氏を国葬にするのはなぜ? という論議が起きていた。すると「国葬ではなく国葬儀」という“きちんとした言いなおし”が出てきた。自民党HPにも『国葬儀という形が適切』(2022年9月9日)という記載がある。というのも、国葬には根拠となる法令がないからだ。
しかし当初はストレートに、政治家の国葬をやるかどうかが実質的な論議だったはずだ。記事でおさらいしよう。
安倍氏が亡くなってから5日後に産経新聞が『安倍氏「国葬」待望論』(2022年7月13日)と1面トップで書いた。ちゃんと「国葬」と書いてある。しかも待望論があると。
ところが記事を読むと、国費を投じること、最近では内閣と自民党による「合同葬」が主流などを挙げて国葬は難しいかなぁ……という産経新聞の正直な思いが伝わってきた。まぎれもなく「国葬」の話だった。