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父親が祖父母にお金をせびりに来ることも

――ご両親とはその後、会われたりしましたか。

風間 母親とはそれっきり一度も会っていませんね。

 父とは今でも交流があります。父親が出て行ったあと、彼がふらっと家に来て「今ここに住んでるから遊びにおいで」と言われたことがあって。それで小学生の時に一度、1人で会いに行ったことがあったんです。「もしかしてお父さんが『一緒に暮らそう』と言ってくれるんじゃないか」という淡い期待を抱きながら。

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 でも結局父親にはそんな気があったわけではなかったらしく、一緒に夕飯を食べたあと「早く帰れよ」なんて言われて帰りました……。

 

――お父様はその後も、ふらっと現れることがあったんですか。

風間 ありましたね。祖父母にお金をせびりにきていました。だから「自分の困った時だけお金をせびりにくるなんて」と思っていたけれど、おばあちゃんは母親だから、結局お金を渡してしまうんですよね。俺は「出さなくていいのに」と言うんだけど。

長屋から6畳一間のアパートへ引っ越し

――風間さんのおじいさんとおばあさんはどういった人だったのでしょうか。

風間 おじいちゃんは無口で、威厳のある感じでした。おばあちゃんは家事や俺の面倒を見てくれたり、いつもよく働いている人だったなあと思います。

――おじいさんおばあさんと暮らしていた頃は、どのような生活をされていましたか。

風間 経済的には厳しかったと思いますね、収入が2人の年金だけになってしまったので。

 当時住んでいた祖父母の家はいわゆる長屋で、トイレが隣の家と共用だったんですね。だから扉を開けたら隣の人が便器の上にしゃがんでいたり、逆にこちらが用を足している時に扉を開けられてしまったり、というようなことがありました。

 父が出て行ってからほどなくして祖父母と俺は引越しをしなくてはならなくなり、6畳一間のアパートの1階に移ったんです。そこがすごく古びていて、錆びたトタン屋根と、トタンで建物を覆っただけの壁に囲まれて生活していました。

 

――3人で6畳一間ですか。

風間 雨の日なんかは窓の隙間や壁の亀裂から雨が吹き込んで来るし、雨漏りがすごくて、まるで「ドリフターズ」のコントみたいに家の中にいくつもタライを置いて。梅雨時には畳や天井に黒カビが繁殖するのがすごくいやでした。