プロ野球はクライマックスシリーズが始まっている。セ・リーグもパ・リーグも関係なく個人的にはどの試合も興味があるしチャンネルをザッピングしながら楽しむ日々だ。元々根っからの野球好きなので野球であればどんな試合でも楽しい。MLBであろうが平日昼間に近所の市民球場で行われているおっちゃんたちの草野球であろうがそれは変わらない。
そんな僕はここ最近ずっと不思議な多幸感の中で日々を暮らしている。
浪人生時代と1992年のオリックス
オリックス・バファローズはリーグ3連覇を成し遂げた。しかも2位ロッテに15.5ゲーム差のぶっちぎり。そしてわずか3年前まで「オリックスがこんな球界最強チームと対等に戦うのにあとどれだけ長い時間がかかるのだろう?」と切なくも遠い目をして眺めていたソフトバンクホークスにまで15.5ゲーム差である。
現在のプロ野球のシステムではリーグ優勝チームのファンは10月18日までやることがない。10月10日のペナントレース全日程終了から1週間の「幸せなモラトリアム期間」というわけだ。個人的にはなんとも言えない肩の力の抜けた「自由」を謳歌している気がする。こんな気持ちは野球ファンになって初めてだ。1995、96年にCSはなかったし、2021、22年は久々すぎる優勝だった上にシーズン最終戦まで優勝の行方がわからない激戦だったため「穏やかな余韻」などというものは感じなかった。「強烈な歓喜」というのが正確だったように思う。
今年はついにオリックス・バファローズ初のマジック点灯を体験しゆっくりと優勝へのカウントダウンを味わえた。その余韻をしっかり噛み締めながら次なる戦いの日々への心の準備をしていく。こんな贅沢な時間がかつてあっただろうか…………いや、あるな。これとすごく似たような肌触りの季節を僕の全身は鮮明に覚えている。はて、僕の人生の一体どこにこんな時間があったのだろう。そうか。
浪人生時代だ。
18歳。東京都練馬区の片隅で僕は物心ついて以来初めての「何者でもない自由」を感じていた。小学生でも中学生でも高校生でもなんでもない「素浪人」。もちろん実際は両親に守られ両親の財布に余計な負担を強いているただの勉強のできないアホガキなわけだが、未熟な小僧なりに「肩書きを持たない無色透明の自由さ」という強烈な快感を初体験したことは間違いない。
人生で勉強ができたことなど一度もないが、思えば幼少期から物語だけは大好きだった。小説、映画、歴史、ドキュメンタリー、そして漫画(この時はまだ将来自分が漫画を生業にするなど想像もしていなかったけれど)。自由律俳句の尾崎放哉や種田山頭火に傾倒したのもこの頃だ。「風来坊」という言葉も大好きだった。両親の悲嘆や同級生からの蔑んだ視線よりも「ひとりぼっちの自由」に対する喜びの方が遥かに勝っていた(僕だけは)幸福な1年間だった。
この浪人生時代に感じたこと、(勉強以外で)吸収したこと、読んだもの、見たものは今の人生でもすごく大きな財産になっている。中学3年間と浪人1年間の精神的財産で僕は今を生きていると言ってなんら問題ない。その意味で両親にはとても感謝している。そんな僕の大切な「1992年」の宝箱の中にはもちろんオリックスというプロ野球チームがいる。
「何者でもない」という快感と共に刻まれている1992年の風景
1992年、自由を持て余した(勉強しろ)僕は毎日熱心にオリックスを追った。もちろんキー局テレビ放送などあるわけもないので西武球場のライオンズ戦、東京ドームの日ハム戦、できたばかりの千葉マリンスタジアムのロッテ戦、テレビ埼玉、NACK5など出来うる限りのチャンスを生かしてオリックスの戦いを観察し続けた。
《1992年のオリックス開幕戦のスタメン》
1 松永(三)
2 福良(二)
3 マルチネス(左)
4 石嶺(指)
5 高橋智(中)
6 藤井(右)
7 トーベ(一)
8 中嶋(捕)
9 田口(遊)
投 星野
この年、オリックスは前半戦最下位に低迷するも後半戦多少盛り返し最終的には3位でフィニッシュ。個人的に大好きだった「ブレーブス」というめっちゃカッコイイ名称を捨て「ブルーウェーブ」というどういった感情で応援していいのかイマイチわからないチーム名に生まれ変わって2年目のシーズンだった。監督も上田利治・仰木彬という二人の名将の間に挟まれた亜空間のような時期で、今になって俯瞰してみると色々複雑な時期なのだが18歳の僕はとにかく夢中だった。
一番お気に入りのエース星野伸之が13勝を稼ぐも前年新人王の長谷川滋利が6勝8敗と苦しみ、小気味良いサイド気味アンダースロー伊藤敦規はキャリアハイの8勝を挙げ、「デカ」こと高橋智が覚醒し29本塁打をかっ飛ばし、ケルビン・トーベが規定打席ギリギリで.305を打ち、ドラフト1位ルーキー田口壮が開幕遊撃スタメンで華々しくデビューするも送球に苦しみ二軍降格(後の名外野手へのきっかけにはなったが)、今や名GMの福良淳一はこの年も.284の燻銀、そして今をときめく稀代の名将・中嶋聡は23歳の若き正捕手として115試合.249で6本塁打を放った。ちなみに捕手・中嶋聡が東京ドームでエース星野伸之のスローカーブを素手でキャッチしたのはこの2年前の1990年、僕が高校2年生の9月の出来事だ。
今こうして書いていてもオリックスファンとして幸福だった1992年の風景が鮮明に思い出せる。それは僕個人が全身隅々まで自由な「何者でもない」という快感と共に心地良い記憶として脳内に刻まれているからなのだろう。
プロ野球を長く応援する醍醐味の一つは自分の人生の記憶と共に様々な時代を思い出せることではないだろうか。その意味で1992年のオリックス・ブルーウェーブは僕個人にとって忘れえぬ「OLD GOOD DAYS」なのだ。