東大、ハーバード…「ピカピカの経歴の若手官僚が民間に下った」と話題に
PR業界関係者が語る。
「自身が代表を務めていた別の米系PR会社ボックスグローバル・ジャパンから今年夏ごろに移籍しました。企業の危機管理などを手掛けるPRは狭い業界のため、トップの移籍とあって話題となりました」
野尻氏の経歴は華々しい。1991年に東京大学法学部卒業後、旧大蔵省に入省。2年間の主計局総務課勤務を経て、1993年、ハーバード大学ロースクール留学。のちニューヨーク総領事館に勤務し、駐在中にニューヨーク州の弁護士資格を取得。2000年には理財局国債課課長補佐に就いた。
野尻氏の知人が語る。
「課長補佐への昇格は同期でも1、2を争う早さだったと聞いています。03年に金融庁監督局保険課課長補佐のポストを最後に依願退職し、消費者金融業のニッシン(12年に経営破たん)に入社。その後財務部長を務めています。ピカピカの経歴の若手官僚が民間に下ったとして、当時、新聞でも報じられました」
09年に米系PR会社フライシュマン・ヒラード・ジャパンに転職。翌年、同社からスピンアウトするかたちで設立したボックスグローバル・ジャパンの社長に就任した。
「野尻氏はロビイング(個人や団体が自らの主張について、政治的影響を及ぼすことを目的に行う私的な活動)に関心があった。ボックスは、当時の民主党も顧客でした。野尻氏は政治家との朝食会に出るのが大好きだとの評判です。その後、敵対的買収などM&Aにおいて、一方の企業に助言するPR案件も手掛けるようになった。役所出身なだけあって資料を揃えるのが得意な一方、感情論で迫られる芸能関係は不慣れだったのでは」(前出の業界関係者)
別の業界関係者によれば、「野尻氏が移籍してから手掛けた最初の大きなPR案件は、自動車保険の問題でビッグモーターとともに糾弾された損保ジャパンで、今回のジャニーズは2件目だった」という。
小誌は、野尻氏自身が問題の「NG記者」リストを作成したのかなどについて取材を申し込んだ。するとまず、書面で次のように回答があった。