1999年のデビュー以来、映画界で唯一無二の存在感を示してきた俳優・オダギリジョー(47)。日本映画が活況に沸いた2000年代を経て、表現の多様性を失ってしまった現在まで、彼はひとりあがき続けている。最新出演映画『』の公開を前に、その理由に迫った。(全2回の2回目/前編を読む

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「あの作品は日本映画に対する挑戦だった」

――2000年代の後半以降、経済的な環境が悪化する中で、日本映画から失われていったのが作家性や芸術性でした。いま振り返ると、オダギリさんはそういったものを背負うかのようにして戦っていましたよね。

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オダギリ そう見てもらえていたなら嬉しいです。やはり時代の変化は止められないとわかっていながらも、あがいていたんでしょうね。自分の好きなものが消えていくのが耐えられなかったんだと思います。でもいまは以前のように戦っているという自覚は減った気がしますよ。

撮影 釜谷洋史/文藝春秋

――とはいえ、近年では映画『ある船頭の話』(2019)やドラマ『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』(2021、22)などみずから監督する作品が増えて、それらにはいまの時代になかなか見られないような強烈な作家性を感じます。ついにオダギリさんが時代に逆襲を始めたんだな、と。

オダギリ 『ある船頭の話』を作ったときは、たしかにそういう意識があったんです。自分で映画を作るなら、いまの日本映画界が見失っているものを作りたいなって。2000年代の前半ならああいう映画も作られただろうけど、いまの時代にあんなエンタメ性のない作品を作る人なんて誰もいませんから。許してくれる人がいませんよね。だからあれを作ったのは、日本映画に対する挑戦でもあったんです。

『オリバーな犬~』もそうでした。より大衆性が求められ、自主規制やコンプライアンスが厳しいテレビドラマでどこまでやれるのか、とことん挑戦してみたかったんです。しかもNHKで。結局、もの作りにはそういった戦いがともなうんですよね。なにかを壊さないともの作りはできないということなんでしょうし。

――『ある船頭の話』も『オリバーな犬~』も、ご自身で脚本を書いた作品でした。

オダギリ 脚本を書くうえでは、石井裕也監督や西川美和監督のような、これまで出会ってきた作家性の強い人たちに挑むような気持ちでやっています。全然及ばないですけど、負けたくない気持ちだけはある。そういう人たちがいてくれたおかげで、いま自分で脚本を書くモチベーションを持つことができているんだと思います。

――最新作『月』の石井裕也監督は、オダギリさんがここ10年程でもっとも多く仕事をしてきた監督です。さまざまなジャンルの映画を撮る人で、作家性を見出しにくいタイプのようにも思いますが、どのあたりに強い作家性を感じますか?

オダギリ 文字にしたらカッコ悪くなりそうですけど、感性の鋭さですね。ジャンルを越えて、その鋭さはつねに変わりません。ものの見方、感じ方、表現の仕方――とくに『月』はその最たるものだと思います。ここまで突き詰めていく姿勢は他の人にはなかなか見当たりません。僕も石井さんの作品にいくつかかかわってきて、その鋭さにいつも驚かされてきました。

――それはとくにどんな点ですか?