――ではオダギリさんの考えだと、演技を客観的に観るための物差しはない?
オダギリ うーん、あえて言うなら人間性ということになるんでしょうね。人格と言ってもいいかもしれません。その役者が人間としていかに興味深いか、最終的にはそれしかないと思います。芝居にはその人の人間性が必ず溢れ出てしまうので、それを好むか、好まないか。人間性を隠して型で芝居をすると、目も当てられない芝居になってしまうのはそういうことなんです。
「経験の浅い、若い人たちの方が芝居は面白い」と考えるワケ
――演技がよくないと言われる人の芝居は、人間性の部分が出ていなかったり、そもそも人間性が育っていなかったり、そういう可能性がある、と。
オダギリ もちろんいろいろな要素がありますが、芝居をまだ理解できずにいて、これが芝居だと思っていることが間違っている可能性もありますね。ただ経験の浅い、若い人たちのほうが全般的に芝居は面白いはずです。歳を取るにつれて変な技術が付くし、見せ方もわかってしまうので、芝居はどんどん狭くなる。わからない人のほうがよっぽど面白い芝居をします。人間性についても、がむしゃらに演じているほうが前に出ることが多いですね。
――ご自身の芝居に対しては、演技のよしあしをジャッジしているんですよね?
オダギリ もちろんしてますよ。『月』に関しては後悔するところが多かったです。もっとできたはずなのになって。
――でも作品の終盤、宮沢りえさん扮する妻に夫役のオダギリさんがある報告をする場面の芝居は、その表情に嬉しさや照れ臭さ、相手へのいたわりや愛しさなど複雑なものが表現されていてとくに見事だと思いました。あれはよくできた芝居ですか、できなかった芝居ですか?
オダギリ 観返してみないとはっきり覚えてないですけど、よくできたところもあれば、できていないところもあったんじゃないでしょうか。ただメイクさんがあとでこそっと教えてくれたんですね、「あのシーンを撮ってたとき、照明の長田(達也)さんがジョーくんの演技を観て泣いてたよ」って。
長田さんは昔からお世話になっている照明技師さんで、僕のいいところも悪いところもずっと観てきてくださった方なんです。そういう方の心を少しでも動かせたのであれば嬉しいし、そういったリアクションが役者を続ける糧になっているのかもしれません。
即興の芝居を見て、石井監督は大笑いしてくれたのに…(笑)
――どの監督と組むかによっても、芝居は左右されますか?
オダギリ 大きく左右されると思います。監督の人間性によっては、この人のために身を削りたいと思うこともあれば、なんでこんな人のためにがんばらなきゃいけないんだと思うこともあるでしょうし(苦笑)。監督が芝居をする環境をどう作るかによっても芝居は大きく変わりますから。
――その点で石井監督とオダギリさんは相性がいいのかもしれません。『舟を編む』(2013)のオダギリさんの芝居もすごくよかったですし。
オダギリ いや、『舟を編む』のときは撮影で僕が即興をたくさん入れて、それを見た石井さんが毎日大笑いしていたんですよ。すごく喜んでくれていたのに、本編を観たらすべてカット。あれはいったいなんだったんでしょうね(苦笑)。
撮影 釜谷洋史/文藝春秋
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