松嶋は恋愛や結婚以外のことについても「運命」や「縁」という言葉をたびたび口にしている。神奈川県内の高校在学中、16歳でモデル事務所の社員からスカウトされ、芸能界入りのきっかけをつかんだときも、何か大きな力に動かされたように感じたという。
《学校帰りの電車でスカウトされたのですが、いつもなら急行に乗るのに、なぜかその日は各駅停車に乗っていて、そこでたまたま撮影帰りのマネージャーと出会った。いつもならお互いにそこは通らないはずの場所だったんです。それに、普段の私なら知らない人に連絡先を教えることは絶対にしない。でもなぜかそのときは直感的にこの人の話を聞いてみようと思ったんです》(『anan』2006年12月13日号)
高校3年生で「水着キャンペーンモデル」に選出
それまでの松嶋は、人前に立ちたくなくて、なるべく目立たないようにしており、自分からは動けないタイプだった。そんな彼女を、モデルの仕事をやってみようと突き動かしたものは何だったのか? 本人は《チャレンジしてみようというやる気と、自分がやりたいことともし違ったらいつでも辞めようという覚悟ですね。それが一瞬のうちに決断できた理由です。とりあえず育ててもらおうという他力本願な思いはなく、自分がやりたいことがやれるかどうか、ただそれだけでしたね。その潔さは自分でも驚くほどでした》と語っている(前掲)。
モデルの仕事を始めてからというもの、オーディションで何回も落ちたりするうち、自分の思いが相手に伝わらなくては損だと思い知らされ、黙っていないで伝えよう、表に出そうと心がけるようになったという。
高校3年のときには、旭化成の水着キャンペーンモデルに2000人の応募者のなかから選ばれ、さらにアサヒ飲料のイメージガール、女性誌『ViVi』の専属モデルとしても活躍するようになる。
大胆CMが話題に
テレビにも進出し、とんねるずのバラエティ番組などに出演した。なかでも彼女の存在を広く世に知らしめたのは、21歳のときに出演した日産自動車のCMである。それは、ミニスカート姿の彼女が、恋人らしき男性の待つ車にこっそり忍び込むと、彼の耳元で「お・ま・た」とささやくという大胆な内容だった。いずれの仕事も松嶋が自ら選んだものではなかったが、それでも彼女は周囲のスタッフたちを信じて挑んだという。
《CMのときも、バラエティに出ていたときも、迷いはなかったですね。できるできないは、私が決めることじゃない。プロの人たちが“松嶋菜々子ならできそうだ”と思うからキャスティングしてくれるんだって。悩んだときほど周りの人を信じよう、任せようって、そのままの自分でいく。期待に応えたいと思ううち、結局、それがベストだって気がついたみたい》(『ダ・ヴィンチ』1998年8月号)