「歌手になりたい、という夢だけで上京して、社長の性癖なんて全く知らなかったんです」
そう語るのは、現役のセクシー男優として活動するミッキー柳井氏(64)。アメリカでは「ヘリコプターマン」の名前で知られる有名男優だ。
ミッキー氏は1974年、半年ほどフォーリーブスの付き人を務めたことがあった。
「雑誌で付き人募集の広告を見て、書類を応募していたのでは間に合わないと、上京して麻布のビルの2階にあった事務所に直接押し掛けたんです。高校を中退して15歳でした。軽く面接をして『明日から来い』ということになり、そのままスタッフの寮と郷ひろみさんの衣装部屋を兼ねたアパートに寝泊りするようになりました」
付き人から歌手へという夢を抱いていたミッキー氏。そばにあったスターの衣装に思わず手を伸ばしてしまったことがあるという。
「郷さんの『花とみつばち』の衣装をこっそり着てしまったんです。ピンクと紫で、腕にフリルの付いた衣装でした」
フォーリーブスのメンバーのお小遣いを建て替えることも
担当するフォーリーブスにはメンバーの数と同じ4人の付き人が付いていた。
「僕は坊主頭だったので、“グリ”と呼ばれていました。控室で衣装のチェックをしたり、靴を磨いたり。アイドルはタバコもダメという時代だったので、トシ坊(江木俊夫)にトイレに呼ばれて、個室のドアの下から火をつけたタバコを渡す、なんてこともありました」
仕事は早朝から深夜に及ぶことも少なくなく、寮の家賃はタダだったが月給は1万5000円と当時としても安かった。メンバーからお遣いを頼まれて立て替えることも多く、生活は苦しかったという。
付き人になって半年ほどが経ち、激務の中、寮で寝ていた深夜のことだった。