高い声で「キビシーッ」と叫ぶ独特のギャグや、「ピアノ売ってちょーだい」とコミカルに歌う「タケモトピアノ」のCMで親しまれた俳優でコメディアンの財津一郎さんが、10月14日、慢性心不全のため89歳で亡くなった。 

 いつまでも1人ではやれない、でも僕がやれる間は僕がやる――。晩年はそう決意を語り、自身も病と付き合いながら、4歳年上だった妻・ミドリさん(享年89)の介護を献身的に行っていた財津さん。当時85歳の財津さんに「老々介護」に奮闘する日々について伺ったインタビューを、ここに再公開する(初出・「週刊文春」2019年12月26日号、年齢、肩書き等は当時のまま)。

財津一郎さん ©️文藝春秋

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 文春さんが来てくれるなんて、人生最後のインタビューかもしれないねえ(笑)。というのも、2年前に脊柱管狭窄症を患いまして。今は芸能活動も休止して、自宅療養中なんです。骨折した妻の世話をしながら、仲良く暮らす毎日。

 東京都内にある閑静な高級住宅地の一角。モダンな一軒家から笑顔で出てきたのは、俳優・財津一郎(85)だ。

今、僕ら夫婦の生活を支えているのはCM契約料

 脊柱管狭窄症を発症すると、腰、ひざ、足首、消化器まで、みんな痛くなってね。懸命にリハビリして今に至っています。

 仕事からは何年も遠ざかってるね。遺作のつもりで主演したのが、ハンセン病の元トランペッターを演じた「ふたたび SWING ME AGAIN」という映画。2010年だから、9年前だね。

 今、僕ら夫婦の生活を支えているのは、年金と、「タケモトピアノ」のCM契約料。「ピアノ売ってチョーダイ!」というあれ、20年も流れてるんですよ。

 途中、若い人を起用してリメイクするという話も出たそうですが、(タケモトピアノの)会長さんの意向で、僕を使ってくれています。ありがたいことです。「赤ちゃんが泣きやむCM」と言われて。僕の声が、赤ちゃんの耳に心地よい440ヘルツなんだとか(笑)。

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 財津は1934年生まれ、熊本県出身。名門・済々黌高校を卒業後、上京し、帝劇ミュージカルの研究生となった。

 64年に吉本新喜劇に参加。その後はコメディ番組「てなもんや三度笠」に故・藤田まことらと出演し、「非っ常にキビシ〜ッ!」や「許して……チョーダイ!」などのギャグで一世を風靡した。ドラマ「3年B組金八先生」(79年)、映画「連合艦隊」(81年)など、俳優としての評価も高い。

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61歳で脳出血、70歳で肺がん病変に

 タケモトピアノの撮影現場へ行くとダンサーたちがいて、振付師に「財津さん、一緒に踊ってください!」と言われたんだけど、僕は95年、61歳のときに脳出血をやりましてね。急激な動きはできないと断ったんです。それで、皆さんがご覧になっているあの形のCMになった。

 それから数年間は何とか元気に仕事もしていたんですけど、70歳のときに肺の前がん病変と診断された。「財津さん、放っておくとあと2、3カ月で肺がんになる」と告げられて、左肺の下半分を切除した。

 退院したら、息が苦しくてねえ。今は、主に右の肺で呼吸しています。呼吸法を腹式呼吸に変えて、生き延びた。そういえば、渥美清さんも肺を切っておられたよね。

 去年は心臓に水が溜まって入院ですよ。これは点滴で治療した。昨日も循環器内科に行ってきて。ちゃんと通院して、一包化された薬をもらっています。

 今は状態が安定しているので、2カ月に1度くらいの検査ですんでいます。