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母を見捨てることなんて、できるわけない

 デイサービス(通所介護)を週に2回利用しているものの、訪問介護サービスについては、要介護1の通常の利用頻度よりも少ない週1回に抑え、炊事、洗濯、掃除、そして入浴の介助まで、一手に高井さんが担っているという。

「失礼ですが、それはお母さんの意向なのですか?」

「いや、すべて私の判断です。母は……そのー、逆というか……」

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「逆というのは、どういうことですか?」

「……はぁー。当初から介護施設に入ると言い張るんです。『あんたに迷惑はかけたくない。私が一人暮らしになれば、また結婚相手を探せるじゃない』と……。そんな、とんでもない。母を見捨てることなんて、できるわけないじゃないですか!」

 短い沈黙に続くため息は、彼の苦悩がいかに深いかを表しているかのようだった。そして終始、努めて冷静に話していた彼が、この時の取材の最後で一度だけ声を荒らげた。

プライドを保つための介護離職

 それからというもの、時間の経過とともに母親の状態は悪化の一途をたどる。日常生活のほぼすべてにおいて介助が必要になり、判断力の低下や記憶障害など認知機能の低下が著しい。要介護認定を初めて受けてからわずか1年余りで要介護3と認定された。デイサービスなど外出時は車いすで移動、自宅内で1人のときには四つん這いになってトイレまで動いて用を足すなどしているという。

 要介護者をフルタイムで働く家族が、在宅で介護するには限界のように思われた。また在宅介護の継続か介護施設への入所かの判断を保留して、いったん介護老人保健施設に数カ月入所してリハビリや介護ケアなどを受け、少しでも回復を期待する方法もある。しかし、高井さんはあくまでも在宅介護にこだわった。

 その結果、介護離職をしてしまうのだ。要介護3に悪化したことを電話で聞いて以来、取材を申し込んでも断られ続け、インタビューが実現したのは離職から半年ほど過ぎた2019年のことだった。

「介護疲れで単純なミスを繰り返して、職務をまっとうできなくなってしまった。そんな自分が恥ずかしくて、情けなくて……。介護休業制度はあってもとても取得できるような職場の雰囲気ではなかったし、経済的なことを考える余裕はありませんでした。介護サービス業者に頼むのも、他人を頼る弱い男と見られたくなかったですし……。それに、笑われるかもしれませんが……私にとっては離職することでしか、なけなしの男としてのプライドを保てなかったんです」