そんな「プライド」など必要ない。そうわかっていても、そうせざるを得なかった苦しさがひしひしと伝わってくる。やつれた表情が痛々しかった。
孤立の末の高齢者虐待
そうして、離職によって社会との接点が絶たれて孤立した高井さんは、最悪の事態を自ら招いてしまう。母親への暴力だった。そのことを知るのは、2022年末のこと。取材を断られる以前に連絡さえ取れなくなり、3年近くが経過していた。この間、無理にでも母親の介護のつらさを聞き出してさえいたら、取材者としての立場は逸脱するものの、老親を1人で在宅介護する身として何かアドバイスなどでき、悲惨な出来事には至らなかったのではないか。彼のことを思い出すたび、今でも己の無力さが悔やまれる。
高井さんによると、要介護3の状態で認知症を発症した母親はさらに脳梗塞を起こして寝たきり状態となった。ヘッドレストが付いた車いすでも一定時間過ごすと体の痛みを訴えるためにデイサービスの受け入れ先が見つからず、週2回の訪問介護と週1回の訪問入浴のサービス利用のほかは、自力でおむつ替えや食事の世話など身の回りのこと全部を担っているという。
「母が感謝するどころか、私の言うことを聞かなくなって……痛い、しんどい、と何度も喚いた挙句、いつも、『あんたに迷惑はかけたくない。施設に入る』と言うんです。母のためを思って、仕事まで辞めて面倒を見てやっているのに……もう、腹立たしくて、我慢できなくなって……そのー、つい、母の体を足で蹴ってしまって……。とんでもない、ことを、してしまって……。もう、反省しても、しきれ、ません」
そう嗚咽しながら打ち明けた。
結婚も介護もすべて母親のためにやってきたつもりだった
高井さんは介護の苦しさと孤独感を飲酒で紛らわすうちに、アルコール依存症に陥っていた。訪問介護サービスで訪れたヘルパーがベッドの脇で倒れている彼を見つけ、病院に搬送された。1人取り残された母親は、介護施設に入所することになったという。
高井さんは通院治療を続けながら、社会復帰を目指し、23年春、企業のシステム情報部門が子会社として独立したユーザー系システム会社に契約社員として採用された。再就職から約2カ月後、インタビューに応えてくれた。