1ページ目から読む
4/5ページ目

カオスになりそうな要素も恐れずに

高野 一方、人って伏線を無視することもできます。要するに都合が悪いイレギュラーなもの、伏線となる違和感は人生から排除できるし、書く(物語化する)うえでも省略できる。一般的なノンフィクションでは、不協和音となる要素はあまり書かずに順に土台を作って積み重ねていくリニアな物語展開が多い気がしますが、私はカオスになりそうな要素も恐れずに書いていますね。

東畑 『イラク水滸伝』では最初の章に、ユダヤ教から派生した古代の新興宗教マンダ教のことが出てきますよね。僕はマイナーな宗教に心惹かれるのでとくに興味深かったのですが、マンダ教徒の舟大工を探して伝統的な舟をつくろうと巨大湿地帯に挑んでいくなかで、後半マーシュアラブ布の謎が物語をドライブする。

 イラクと聞くと戦争のイメージが強く、“水滸伝”とあって武装勢力の話と思いきや、古代シュメール人の文化を温存した平和な湿地民の生活が描かれているし、イスラムを逸脱したような自由奔放な布の世界が広がる。要素がすごく多いのに、一気読みできるドライブ感があって本当にすごいと思いました。

ADVERTISEMENT

©細田忠/文藝春秋

高野 『野の医者』の構造って、じつは『イラク水滸伝』にすごく近い気がするんですよ。沖縄のスピリチュアルヒーラーたちってすごいカオス(笑)。その中に入っていってもまず誰に取材したらいいかわからないし、何を目指してどう話を聞いたらいいのかわからない。

東畑 はい、カオスそのものでした(笑)。

開かれたアジール(逃げ場所)

高野 そんな野の医者はアジール(逃げ場所)にもなっているのがすごく興味深い。貧困や家庭の不和や様々な問題で心を病んだ人たちが逃げてくる「心理的な避難所」であると同時に、心を病んだ人たちが今度は自分で野の医者になり、そこでお金を稼げるという経済的な逃げ場所にもなっていて。

 それって、社会から疎外されたマイノリティや政府に反目するアウトローたちの逃げ場になってきたイラクの湿地帯ととてもよく似ているんです。

東畑 すごく面白い共通項ですね。野の医者の世界は、当時苦境にあった僕自身にとってもアジールでした。無職で社会の中で居場所がなく、自分が何者なのかもわからず荒れていた時期、彼らの世界にいるときには「居るのがつらくなかった」。誰にたいしてもウェルカムで、みんなに何らかの物語が付与される、開かれた避難所でした。

 そんなオーソドックスな臨床心理学の外側にある、まさに湿地帯のようなカオスの世界を描き出すにあたって、普通の学問の言葉で書いてしまうと面白さが伝わらない。高野さんの書き方に強くインスパイアされたのも、オルタナティブなものをどうやったら書くことができるのか?という問いがあったんです。

 社会学の書き方では悲惨な話になってしまうし、人類学の記述では楽しそうな感じがしない。でも高野さんのブリコラージュ的な手法なら、悲惨な面があっても、オルタナティブな領域にある野生の楽しさが伝えられるじゃないかと。