現地で面白そうなものに片っ端から飛びつく“ブリコラージュ”
高野 ストーリーラインになるかもしれないと思う要素は常にいくつもあって、面白くなりそうと思いつつも、布でそうなるかは実際書いてみないとわからない。取材段階でも執筆段階でも僕は、“ブリコラージュ”度がすごく高い。
ブリコラージュとは文化人類学者のレヴィ・ストロースがいった概念で、その場で手に入るものを何でも使ってものを作ることですが、僕はいつもノープランで取材地に飛び込んでいく。現地で面白そうなものに片っ端から飛びついていって、最後、面白いものだけを引っ張ってストーリーを構成しているんです。書くのもかなりブリコラージュ的だから、一度は迷いの森に入るんです。
東畑 僕の場合は、そのときどきで「物語を生きてる」感じがある。調査をしているときも、物語の文脈から今この瞬間を見てるんですね。あ、これはクライマックスだぞ!とか。たとえば、『野の医者』のラストで、サヨコさんという野の医者を辞めた人に出会うシーンがあるんですが、そこでは本の大きな物語と、サヨコさんの物語が重なっているのに、突然気づくんです。それで、これはもう絶対書くしかないと興奮しながら、その物語がより鮮明になるようにインタビューをするんですね。
喋ってて思いましたが、これはたぶん、カウンセリングと同じで、カウンセリングでの心の働かし方と同じやり方でフィールドワークをしています。カウンセリングって、クライエントが語る時、その話をベタに聞くと同時に、そこにさらに二つの文脈を重ねて聞いているんですね。つまり、そのクライエントの幼少期の物語と、今この瞬間のカウンセラーとクライエントの関係性の物語です。
たとえば定型的な例を出すと、上司に怒られて不安になっているという話を聞きながら、そのクライエントが母親からいつも怒られていたことと、僕がそのクライエントにとって怖い存在であることとを重ねて聞いているわけです。〈クライエントの現在と過去と僕らの現在〉の3つの要素が重なって理解できたとき、相手の心と深く触れ合っている感覚がします。そういう意味で、カウンセリングって現在進行形で「物語を生きる」仕事です。
謎解き要素が強いカウンセリング
高野 なるほど。でもカウンセリングでは、物語のように伏線を張ったりしないでしょ?
東畑 しないですね。ただ、最近ある臨床心理士とも話してたのですが、やっぱりカウンセリングには謎解き要素が強くあります。
困っている人の話を聞いていると、「なぜそんなに不安なのか」「なぜこんなに怒るのか?」わかってるようでわからない原因やその兆候が沢山あるんです。で、いろいろあってから、なるほどそういうことだったのか、となる。そういう伏線には事後的に気付きます。
高野 なるほど。振り返ってみれば伏線になっていたと。それって僕がノンフィクションを書いていてもよく感じることです。気になることがあって重要そうだけど位置づけが解らないものが、あとから、こういうことかと繋がったりする。それを書く段階で伏線として回収するのは、半分意図的で半分ナチュラルですよね。
東畑 それに近いことって、実人生でもみなよくやっていると思います。よくあるのが結婚したら大変なことになったという話で、「そういえば付き合ってたとき、レストランでなんか変だなと思った」という。「なぜ私はあの時の伏線を見逃してしまったんだろう」と後悔するパターンですね。