臨床心理士として「心とは何か」というテーマを真正面から論じた著書『心はどこへ消えた?』(文藝春秋)が大きな話題を集めている東畑開人氏。同氏には、「臨床」という営みを理解するにあたって、強く影響を受けた一冊があるという。
それがアメリカの精神医学者クラインマンによる『臨床人類学』だ。ここでは、河出書房新社による同書の再刊にあわせ、東畑氏が寄せた推薦文を掲載。人が病み、そして癒やされることの本質に気づいたきっかけについて紹介する。
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クラインマンの『臨床人類学』と出会ったのは沖縄にいた頃のことだ。私は小さな精神科クリニックで常勤心理士として働いていた。
月曜日から金曜日まで、朝から晩まで、カウンセリングやデイケアで患者さんと話をしていた。カウンセリングの時間だけはYシャツとチノパンに着替えていたが、デイケアのときは短パンにポロシャツだった。退勤するときにはそこに麦わら帽子をかぶり、看護師の先輩と一緒にオリオンの缶ビールを飲みながら帰った。そういう時期だった。
ただ、土曜日の午前だけは、大学で非常勤講師をしていた。那覇から宜野湾にある沖縄国際大学まで軽自動車を走らせて、「教育心理学」という科目を教えていた。普段は人の話を聴いてばかりだったから、誰かに自分の考えていることを話すのは楽しかったし、授業が終わってから大学図書館に寄って、本を大量に借りるのは幸せだった。
沖縄国際大学の図書館は素晴らしかった。吹き抜けのある建物は美しくて、なにより蔵書が充実していた。善き司書と図書委員がいたのだと思う。人文書の新刊が毎月大量に入荷され、古い本のラインアップも素晴らしかった。アカデミアから遠く離れた生活をしていた私は、この図書館に居るときだけ、自分のことを学者のはしくれであると思うことができた。それは当時の私を深いところで支えていたように思う。
普通の生活に息づいていた霊的文化
その図書館で特に充実していたのは、シャーマニズム関係の書物だった。
そういう土地柄だったのだ。沖縄には「ユタ」と呼ばれるシャーマンがいたし、街の中にちらほらと小さな森があって、その中に少し分け入ると拝所があった。若者たちは「霊感がある/ない」の話をささやきあっていたし、親族単位で行われる儀礼のために同僚は年次休暇を使っていた。普通の人の普通の生活に、霊的文化が息づいていた。
思い出すのは沖縄に行った最初の年の旧盆のことだ。その日の夕方、街は異様な雰囲気だった。エイサーの衣装に身を包んだ青年たちが、トラックの荷台にすし詰めにされて、市中を走り回る。彼らは辻々で、帰ってきた祖先たちのために舞う。道交法とか関係なく、儀礼はなされねばならない。ふと見上げると、空が深い紫色に染まっていて、街は紫の光にあふれていた。その中で紫の衣装を着た青年たちがエイサーを踊っているのだから、本当に霊たちが帰ってきているように見えて、神秘的だった。