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介護施設に就職

 ユズの申し出を、坂本さんは喜んだ。「あの子はおっとりしているし、ボーっとしているところもあるけど、話がきちんとできる。ユーモアもあるし、気持ちさえあれば歌舞伎町を出ても、体を売らずにやっていける」と思っていた。だから、サユリが使ったのとは別のプログラムを提案した。

 東京都の支援制度の一つで、最も初歩的な介護の資格「介護職初任者研修」の講座を無料で受けられ、受講中は都が借り上げたアパートに住むことができるというものだった。就職先の紹介もしてくれ、講座終了後1年以内に介護職として半年以上働けば、貸し付けられた住居費や生活資金の返済が免除される。条件さえクリアすれば、タダで住まいと仕事が手に入る。

 気がかりは、介護職をやりたいと思えるかだったが、ユズは「全然嫌じゃない」と言った。「おじいちゃんとか好きだし」。やってみるかと問われ、大きくうなずいた。坂本さんは早速、窓口に電話をして面談の機会を設けてくれるよう頼み、日時が決まると、ユズに念を押して伝えた。

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 話はトントン拍子に進んだ。ユズはサボらず講習に通い、年が明けて2月半ばには見事、介護の資格も取った。年末年始には間に合わなかったが、住むアパートも決まった。山手線のターミナル駅から私鉄で数駅行ったワンルーム。リフォームしたばかりで、バス・トイレ別のきれいな部屋だった。冷蔵庫や洗濯機は備え付けられている。彼女が2年以上、寝泊まりしたネットカフェの狭い個室とは大違いだった。

写真はイメージ ©️AFLO

 坂本さんは、日用品や収納棚といった、新生活に必要なものを差し入れた。大きなキャリーケースに収まり切らなかった荷物を運んであげ、自炊ができるように台所周りを整えた。「私が支援してきた女の子の中で、一番くらい、すごく順調に自立に向けて歩んでいます。あとは早く新生活に慣れて、歌舞伎町から離れてくれればいいんですけどね」と言い、ユズを励ました。

 この頃のユズは、明らかにはしゃいでいた。「こんないい部屋、自分で借りてもいいから、ずっと住みたい」と言い、自炊をしたと誇らしげに周囲に話した。3月に入ると、都の斡旋で職場も決まった。新宿からもさほど遠くないところにある介護施設だ。認知症の高齢者が主に入所していた。4月、ユズは晴れて就職した。給料は手取りで十数万円。ホストクラブに行く余裕は、経済的にも時間的にもなくなった。それでも、「住む家があって、安定した仕事がある方がいい」と言った。給料を振り込む口座や身分証の提出、必要書類の記入は、坂本さんたちが手伝った。言われた通りに通帳やマイナンバーカードを用意したユズは、「給料出たら、お父さんにも何か買ってあげようかな」と嬉しそうに笑った。

 だが、ほどなくその仕事を辞めた。