MiA 中学時代、「ギターフリークス」というゲーム機でDo As Infinityの『本日ハ晴天ナリ』っていう曲を知って、本物のギターを弾いてみたいと思いました。それから友達を誘ってバンドを作り、学校そっちのけで練習とゲーセン、ときどき学校という生活でした。そんな生活が高校に入ったあとも続いたせいで、結局2ヶ月で退学することになりました。
「包丁を振り回す母」のせいで自宅に帰れなかったことも…
――高校退学後は何をしていたんですか?
MiA ギターの専門学校に通い始めたのですが、授業で聴く先輩の演奏が下手すぎて……。退屈で女の子と喋っていたら、先輩にも先生にもめちゃくちゃ怒られました。「もう二度とくるな」と言われ、当時組んでいたバンドが忙しくなっていたこともあって、その学校も1年ぐらいで通うのをやめました。
――親からは何も言われなかったんですか?
MiA 母に問題があって。一日中酒を飲んでいて、口を開けばヒステリックで話が通じない。いわゆる「毒親」や「教育ママ」のように、僕のことをどうこうしたいといった主張もないし……。ときには包丁を振り回すような暴力的な面もありました。
母は外見も外面もいいんですが、家の中では父親にも暴力をふるっていました。子どもながら、「なんでこんな人を選んだんだろう」と疑問でしたよ。それでも父親は「本当はいいやつなんだよ」と言うのですが、その気持ちがまったくわからなかった。
――そういう家庭事情があったからギターに打ち込んだ側面も?
MiA それはあると思います。小中学校の頃が一番つらかった時期なんですよね。母親は刺激すると暴れだすから、何も言えない。ヒステリーを止める方法もわからないから、どうしようもない。だから、母親とコミュニケーションを取るのは早くから諦めていました。
いま振り返ると、空手道場で遅くまで練習していたのも、ゲーセン通いしていたのも、家に帰りたくなかった気持ちが大きかったんだと思います。逃げ道じゃないけれど、ハマれるものを本能的に探していたのかな。だから、ギターが見つかって本当に良かったです。実家を出て十数年になりますが、いまだに母親のことは理解できないし、怖くて会うのを避けていますね。