真島の狙いは見事当たり、「マツケンサンバⅡ」はアメリカでも大好評で、曲の後半では観客が立ち上がって一緒に踊ったという。松平たちは帰国後、同曲の振付は今後もこれで行くと決めた。
衣装は「マツケンマンボ」のときからラメの生地による光り物の着物だったが、「マツケンサンバ」でスパンコールの生地に変わった。そのうちに生地を松平が海外に行ったとき自ら選んで買ってくるというこだわりようであった。
レコード会社にCDリリースを断られ…
「マツケンサンバⅡ」がファンのあいだで定着すると、CDがほしいとの声が上がった。これを受けて松平はレコード会社に持ちかけるも、断られてしまう。そこで自主制作したCDを公演会場限定で発売したところ評判を呼び、一旦は断念したレコード会社からのCDリリースが実現した。一方で、名古屋の新聞社や放送局に勤める4人の女性たちが「マツケンサンバを紅白に出そう」と目標を掲げ、ラジオ番組で曲をかけてもらったり、紙面で紹介したり地道に宣伝活動をしてくれた。そのおかげもあって、2004年、ついに「マツケンサンバⅡ」は大ヒットし、松平は紅白出場を果たしたのだった。
ちょうどこの前年、2003年には25年間続いた『暴れん坊将軍』のレギュラー放送が突如として終了していた。主演の松平は個人事務所を経営するだけに、社員を路頭に迷わせるわけにはいかない。そのため、すぐ収入になるディナーショーを始めたり、それまで「将軍」のイメージを崩さないためやってこなかった汚れ役に挑んだり、バラエティ番組にも出演したりと、あらゆる手を尽くした。そこへ来ての「マツケンサンバⅡ」のヒットは、「将軍」とは違う彼のイメージを一気に世間に広めたという点で、松平の再スタートを後押しすることになったともいえる。
俳優としても、紅白初出場と前後して2004年暮れまでの3ヵ月間、ドラマ『忠臣蔵』で主役の大石内蔵助を演じたのに続き、翌年の大河ドラマ『義経』では武蔵坊弁慶に扮し、存在感を示した。
憧れは石原裕次郎
そもそも松平が俳優を志したのは、地元・愛知県豊橋市の高校を中退して名古屋駅前の寿司屋で働いていたころ、当時の大スター・石原裕次郎主演の映画『太平洋ひとりぼっち』を観て感動したのがきっかけだった。石原は中学時代から憧れの存在であったが、このとき初めて弟子入りして俳優になろうと思い立つ。家族が反対するなか、母親だけが唯一応援してくれ、かなりの額のお小遣いを渡して東京へ送り出してくれた。