『暴れん坊将軍』が始まると、師匠の勝に「おまえは将軍なんだからいい店で飲め。そこでお客さんがどういう遊び方をしているか勉強しろ」とアドバイスされる。松平はこれをさっそく実践し、銀座のクラブなどへ身銭を切って通った。結局、金銭的に苦しくなって2ヵ月ほどしか続けられなかったが、自信はつき、役づくりに活かすことができたという。
周囲では当初、番組は「3ヵ月で終わる」との声もあったが、松平はそれに闘志をかき立てられ踏ん張った。1年目こそ視聴率は2桁に達しなかったものの、2年目の1979年、NHKの大河ドラマ『草燃える』で松平が準主役の北条義時を演じるのを見て、初めて彼を知った人たちが新たに視聴者についたこともあり、人気番組となっていく。
将軍吉宗は「僕の分身」
俳優・松平健としては、将軍吉宗とともに自分も成長していったという感覚があるようだ。最近のインタビューでは、吉宗について《僕の分身ですね。ずっと一緒に歳を重ね、成長してきたという実感があります。20代、30代、40代、50代と、その年代ごとの吉宗を演じてきましたし、今の自分が演じられる吉宗像もあると思うんです。機会があれば、ぜひもう一度やってみたいですね》と語り、なおもこの役に思い入れを抱いているとうかがわせた(『隔週刊 暴れん坊将軍DVDコレクション』Vol.2、デアゴスティーニ・ジャパン、2023年)。
勝新太郎の弟子への思い入れも終生変わらず、松平が34歳のとき初めてミュージカル『王様と私』に主演したときには、舞台稽古に立ち会いながら、サングラス越しに涙を拭いていたかと思うと、あとで楽屋に来て「ダメ出し、ないよ。よかったね」と声をかけてくれ、彼を感激させた(『婦人公論』2004年10月7日号)。
かと思えば、その後、松平が30代後半頃には「おまえ、目が死んでるぞ!」と一喝されたこともあったという。その瞬間には、師匠が何を言わんとしているのかわからず、《それから、自分でもどこが死んでるのか考えました。悩みましたよ。あとから考えれば、満足してるんじゃないのかってことですかね。好奇心に燃えてないっていう。平和で目から鋭さが消えていたのかな。自分にそのつもりはなくても、知らない間にぬるま湯に浸かっていたかなと、それ以降、自分に厳しくなりました》と、のちに語っている(『BIG tomorrow』2005年4月号)。
70歳でも果敢にチャレンジ
その師の教えは、『暴れん坊将軍』終了後、必死になって新たな仕事を見つけようとしたときにも活かされたに違いない。このときのさまざまな挑戦は、現在も「マツケンサンバⅡ」をめぐる一連の展開にまでつながっている。その根底にあるのは、人々に楽しんでほしいという、松平が俳優として培ってきたサービス精神だろう。目下、大阪を皮切りに各地で公演中の舞台『西遊記』では牛魔王の役で、立ち回りを宙吊りで演じるなど、70歳を迎えてもなお果敢なチャレンジを続けている。