多くのファンに応援してもらうことが何よりも重要といっても過言ではない芸能界。それだけに自身を応援してくれるファンは大切な存在だ。しかし、なかには一線を超える熱狂的なファンもいる。自宅を特定し、日々手紙を郵便受けに届け、そして……。
ここでは、くりぃむしちゅーの上田晋也氏が著した『赤面 一生懸命だからこそ恥ずかしかった20代のこと』(ポプラ社)の一部を抜粋し、同氏が実際に遭遇した熱狂的なファンとのエピソードを紹介する。
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最初のファン
芸人を始めて2年近く経った頃であっただろうか、私のことを熱狂的に応援してくれる女性が現れた。彼女はその当時、中学3年生か高校1年生だったと思うが、とにかく我々が出演するライブ、舞台、イベント、すべてに顔を出してくれていた。多分、私のファン第1号だったと思う。
私の追っかけをしていたということは、その子にとって一生の汚点かもしれないので、T美ちゃんとしておく。誰が一生の汚点だ!
その当時、私はどこに行くにも電車移動だったため、ライブに出演したあと、電車で帰ることになるわけだが、毎回出待ちをしていたT美ちゃんは、私にプレゼントを手渡し、当然のように駅まで付いてきて、当然のように私と同じ切符を買い、同じ電車に乗り、時には同じ駅で降り、私の家の前まで付いてくる、ということがたびたびあった。
ファン第1号になってくれた感謝もあり、熱心に応援してくれていたので、邪険にもできず、いろいろ会話を交わすようになった。もちろん、連絡先などは知らないし、あくまで芸人とファンという距離感ではあったが。
T美ちゃんは、とにかくあらゆるところに顔を出した。東京のすべてのライブ会場はもちろん、群馬や栃木のイベント、愛知や大阪のイベントまで、(こんなところまで来るの?)と思うことが多々あった。私専用のGPSかと思ったくらいだ。
「はい、どうもーこんにちはー、海砂利水魚(当時)でーす!」と舞台に上がると、決まって最前列にT美ちゃんが陣取っている。(またいるわ)と、いつしかT美ちゃんの出欠を取るのが、舞台に立ってまず最初にやることになった。