そんな皇室の環境に馴染めなかったからこそ、『適応障害』と診断されることになった。雅子さまは現在に至るまで、一貫して『皇族は人権が守られない立場でよいのか』という問題意識を抱いていらっしゃる。ご結婚されてから、ずっと戦い続けてこられたのです」(同前)
適応障害を発症後、主治医のもとで療養生活に入られることに
「お世継ぎ」を生むことへのプレッシャーに苛まれ、疲弊された雅子さまは、2003年12月には「帯状疱疹」を発症され、宮内庁病院に入院。皇太子(現・天皇陛下)が雅子さまを庇って、会見で「雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と「人格否定発言」をされたのは翌04年5月のことだった。
その後、雅子さまは「適応障害」と診断され、主治医で精神科医の大野裕氏のもとで療養生活に入られることになる。
公務の際には「体調を考慮したうえで参加を検討」という留保が付くようになり、欠席される機会も増えた。毎年のお誕生日に発表される雅子さまのご感想の文書にも、〈お医者様のご指導の下で快復に努める〉という文言が、頻繁に記載されるようになった。
2005年からは、雅子さまの誕生日文書と同時に「東宮職医師団見解」という文書も公表されてきた。医師たちが専門の立場から、雅子さまのご病状を説明するものだ。
文章の最後に書かれた、雅子さまの“内なる叫び”
「雅子さまは、どうしても行事を欠席せざるを得ないほど、体調が深刻な時が多々ありました。ですが、せっかく招いてもらっている身で、自ら断るわけにはいかない。また、政府が主催する行事に、なかば強制的に参加させられる場面もある。皇族方はまるで操り人形のように振舞わなければならず、『人権が無視されている』と感じるような耐え難い状況です。それでも雅子さまは、自分の意思で拒否するわけには到底いきません。そんなことをすれば『税金泥棒!』と批判が殺到するでしょう。ですが医師たちの判断であれば、いわばお墨付きを得る形で、何とか欠席できるわけです。
『東宮職医師団見解』の文書作成にも、実はすべて雅子さまご自身が関わっています。誕生日に発表されたご感想の文書を、今度は医師の立場で考えたらどうなるかという視点でご覧になるのです。文章の最後に必ず書かれている『温かい目で見守っていただきたく』という文言は、雅子さまの“内なる叫び”なのです。
大野医師や東宮職医師団とのこうした緊密な体制は、雅子さまが皇室内で生き延びていくために必要なものだったと言えます」(同前)
12月8日発売の「文藝春秋」1月号では「雅子さま還暦『内なる戦いの30年』」と題して、雅子さまのご近況から皇室での30年の生活、さらには愛子さまとのご関係など全10ページにわたり詳報している(「文藝春秋 電子版」では7日公開)。
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