ある事件をきっかけに理想都市・ズートピアに“分断”が起こる
ズートピアにおける草食動物と肉食動物は「本能に支配された原始時代の不均衡な関係を乗り越えている」という設定で、イーブンな関係が前提となっている。だから肉食動物に対して「暴力的で危険である」という偏見を向けることは正しくない振る舞いなのだ。
しかし「肉食動物が凶暴化する」という事件が明らかになった結果、そうした建前がゆらぎ始める。自然に振る舞っているだけの肉食動物の側で、草食動物の母親は子供をそっとかばうような仕草をするようになる。「もしかしたら」という不安が草食動物を疑心暗鬼にさせる。
なにが「弱者」でなにが「強者」なのか?
重要なのはこの分断を引き起こしてしまったのが、ほかならぬジュディの発言だったという点だ。彼女は、記者会見で「失踪していた肉食動物たちがみな野生化していた」という事実について、見解を求められ、やりとりの中で「肉食動物が凶暴化する可能性」を肯定してしまう。なにが原因なのかわからない状態での、彼女の先入観に基づいた曖昧なコメントが、分断のトリガーとなったのだ。この言葉はバディとしてジュディを信用していたニックの心も深く傷つける。
結果として、数に勝る草食動物が数の少ない肉食動物を、警戒という名のもとに抑圧する状況が生まれてしまう。捕食者/被食者の観点では抑圧される側だった草食動物が、今度はマジョリティとして、マイノリティである肉食動物を圧倒する。なにが「弱者」でなにが「強者」なのか、実はそのラインはとても危ういバランスの上に引かれていることが示される。
映画に描き出される「偏見」を自由に読み取ることが可能
本作の長所は、こうした固定概念や偏見とそれから生まれる分断を扱いつつも、単純に人間社会の問題を引き写したようには描いていないという点だ。動物キャラクターたちが人間をただ置きかえた存在ではなく、あくまで動物キャラクターという独立した存在として描かれていること。だから、そこで示される問題もあくまで動物たち固有の問題である。
だから観客は映画で描き出された肉食/草食やそのほかの関係性から生まれる固定概念や偏見について、「男女の差」なのか「人種の差」なのか、それぞれに自由に読み取ることが可能になっている。