『ズートピア』は、最終的に事件の真相が明かされ、ハッピーエンドを迎える。どうしてそれが可能かといえば、本作がこの社会にある問題として固定概念や偏見のみを取り上げているからだ。それはズートピアという都市が「誰でも何にでもなれる」場所として、極めて人工的に作られた都市だからこそ、可能になったといえる。
ウォルト・ディズニーが晩年に計画していたこと
本作のスタッフは、ズートピアをデザインするにあたってディズニー・ワールドやディズニーランド、そのほかの動物園など、様々なテーマパークを参考にしたという。『ディズニーと動物 王国の魔法をとく』(清水知子、筑摩選書)は、ズートピアについてこう記す。
「もうひとつ注目すべき進歩は、テクノロジーによって実装された動物版EPCOTともいえる架空のハイテク都市だ。ズートピアは、リアルな『都市計画』に基づいて設計され、テクノロジーによって完全にバリアフリーが行き届いている。(略)つまり、種族間の格差はテクノロジーが埋め、それが民主主義の土台となっているというわけだ」
ここで名前が上げられたEPCOTとは、ウォルト・ディズニーが晩年に計画した「実験的未来都市(Experimental Prototype Community of Tomorrow)」のことを指す。この計画は実行されることはなかったが、居住空間や商業施設、娯楽施設を含んだひとつの共同体を作り、さらには気象制御も行おうと構想されていた。
「(テーマパークと)同じように環境をコントロールすることで理想的な未来都市を実現しようとしたのである」
「ウォルトが抱いた未来は、片足を過去に、もう片方を未来につっこみながら、最新のテクノロジーを駆使した合理的なライフスタイルと、美化された過去の記憶が復活しうる舞台として構想された。いわば『管理と排除』によって犯罪も渋滞もない『安全』な都市を目指そうとしたわけだ」(前掲書)
ズートピアはEPCOTよりもずっとオープンで民主的な空間で、より「理想的な未来都市」に近づいたものとして設定されている。そしてだからこそ画面の上には積極的に登場しないものがある。例えば、貧富の差はあるようだがそこは積極的にフォーカスされないし、異種族(異文化)同士の大きなコンフリクトも描かれない。人間の都市が抱えている諸々の問題をあえてオミットし、理想的な都市であると描いたからこそ、ズートピアが抱える問題を「先入観とそれにともなう分断」だけに絞り込めたのだ。