昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「ダークなズートピア」? “食べる”と“セックス”が曖昧な『BEASTARS』、生々しい描写の意味

2021/02/24

 漫画『BEASTARS』が単行本第22巻をもって完結し、アニメ版の第二期の放映が始まった。

 この作品は、擬人化された肉食獣と草食獣たちが共存する世界を舞台とする。主人公はハイイロオオカミのレゴシ。チェリートン学園に通う高校生で、演劇部で冴えない裏方をしている。ある日、演劇部員のアルパカのテムが、何者かに「食殺」されるという事件が起きる……。

『BEASTARS』からまず想起するのは、ピクサー/ディズニー映画の『ズートピア』(2016年)だろう。『ズートピア』も主なテーマが擬人化された肉食獣と草食獣の共存ということで、類似性を考えないではいられない。

 作者の意図はともかく、ここでは『BEASTARS』を『ズートピア』への意識的な「返歌」として読んでみたい。

​*以下の記事では、『BEASTARS』漫画版の内容と結末が述べられていますのでご注意ください。まだ作品をご覧になっていない方、これからご覧になる予定の方は以下の記事を読まないことをお勧めします。

『ズートピア』では描かれない「性」が描かれる

 その際にまず予想される読み筋は、「多文化主義」である。どちらの作品においても肉食獣と草食獣の対立がもたらす社会的分断、そして融和の可能性がテーマになっているということで、現実社会の寓話として読むならばまずは多文化主義や多民族社会をめぐる物語として読めるだろう。

アニメ公式サイトより

 だが『BEASTARS』は『ズートピア』には明示されないテーマを導入している。それは「性」である。思春期の童貞肉食獣であるレゴシと、性的に奔放な(それこそ「肉食系」の)ウサギのハルとの関係は、ディズニー映画にはとても不可能な性のテーマを導入している。その中心は主人公レゴシの男性性であろう。

 ひるがえって『ズートピア』においてもまた、多文化主義はじつは表面上のテーマにすぎない。「何にでもなれる」というこの映画のスローガンが表現するのは人種(種族)の壁を超えることができるということ(多文化主義)だけではない。主人公のウサギであるジュディは女性でもあり、男社会である警察で活躍する。そのようなフェミニズム的なテーマが、『ズートピア』の本体なのだ。

『ズートピア』のフェミニズムと『BEASTARS』の男性性の探究。この二つは、現代という時代を考えるときに、みごとな対をなしており、現代における女らしさと男らしさの問題を考えるにあたって、非常に示唆的だ。