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『ズートピア』の主人公ジュディは田舎町の農家の娘である。小さな頃から警官になる夢を見ていた彼女はアカデミーで必死の努力をし、首席で卒業して動物たちが共存する理想都市ズートピアで警官となる。ところが最初にあてがわれた仕事は駐車違反の切符切り。同時にズートピアでは、肉食動物14人が行方不明となるという事件が起きている。ジュディは偶然にそのうちの一人、カワウソのエミットの捜索をすることになり……。という物語である。

 この物語は、肉食動物たちの凶暴化によって、肉食と草食の間に「人種的」対立が生じ、主人公のジュディ自身が子供時代にキツネにいじめられたトラウマから、思わず肉食動物への恐怖を煽動するようなことを言ってしまい、「バディ」となって協力関係を築いていたキツネのニックと一旦決別するという、「多文化主義」をめぐる物語のように見える。

『ズートピア』で女性差別に遭うのは主人公よりも…

 だが、この作品にはもう一本の太い筋が引かれている。それは、ジュディの女性としての成長とキャリアというフェミニズム的な筋だ。

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 ジュディの警官としてのキャリアにとっての障害は、ウサギであるということだけではなく、女性であることだ。アカデミーを首席で卒業したにもかかわらず駐車禁止の取り締まりに回されるジュディは、「ガラスの天井」に突き当たっているといえるだろう。

『ズートピア』のジュディ(左)とニック(右) ©getty

 ただし気をつけるべきなのは、この物語が「単なる」フェミニズムの物語なわけではないということだ。じつのところジュディにとって女性であることはそれほど大きな障害としては表象されない。むしろその障害に苦しんでいるのは、ヒツジの副市長、ドーン・ベルウェザーだ。

 彼女は副市長とは名ばかりで、男性のライオン市長の下で秘書扱いをされている。「ガラスの天井」に直面しているのはジュディよりはドーン副市長である。そして彼女はその苦境を解決するために、肉食と草食の対立を煽って肉食を排斥しようとしてしまう。

 ここでは、ドーンの「フェミニズム的」な怒りは社会的分断の煽動と市長のライオンが代表する肉食動物の排斥という「間違った」形を取ってしまっている。

主人公はフェミニズムの問題を「ずらす」

 では、ジュディはドーンが直面した問題をどうやって解決しているのか? それは、自分の主体形成をフェミニズム的問題ではなく多文化主義的問題へとずらすことによってである。

 彼女は「何にでもなれる(努力さえすれば)」という実力主義的な多文化主義の理念でキャリアを築いていくが、物語の後半ではキツネに対する恐怖という、自らが抱く根深い差別感情に直面することになる。そしてニックと和解することでその差別感情を乗り越え、真に多文化主義的な主体になる。

 逆に言えば、ドーン副市長の限界は、フェミニズム的願望だけに突き動かされ、多文化主義的な寛容を見失ったことにあった。そのようにして、フェミニズムの「問題」が多文化主義によって魔法のように解決される。