レゴシがルイの脚を食べることの意味
さて、そうだとすると、第11巻でのリズとレゴシの対決において、レゴシがリズの言い分(彼のテムとの「真実の友情」)に耳を貸そうとしないことには、同性愛の否定、さらには同性愛への嫌悪を読むことが可能になってしまうだろう。この対決では、草食への「博愛」に目覚めたレゴシが、同じ巻で「俺は肉食獣が好きだ」という目覚めを得たアカシカのルイの脚を同意の下で食べ、力を得たレゴシがリズを打ち負かす。
レゴシがルイの脚を食べることは、この作品における意味の体系の中では性的行為であり得る。だが、それはあくまでリズの「同性愛」を否定するという文脈を与えられている。その限りにおいて、それが表すのはむしろ同性愛の否定に基づいた「ホモソーシャルな関係」なのだ(この言葉を広めた文芸批評家イヴ・コゾフスキー・セジウィックによれば、男性同士のホモソーシャルな関係はミソジニー(女性嫌悪)とホモフォビア(同性愛嫌悪)を条件としている。)
ぐらぐらと揺れ動く、レゴシの性的指向
『BEASTARS』の結末は、多文化主義的な秩序と異性愛的な秩序の安定的な複合体へと収斂している(つまりレゴシとハル、そしてルイと雌のオオカミのジュノという異種族・異性愛カップルの成立で終わる)。だが、最後に、私はそのような「結論」だけではなく、そこへいたるプロセスを重視したい。
レゴシの性的指向はここまで見てきたように、ぐらぐらと揺れ動き続ける。彼が否定したはずのリズとの関係も、彼との「ディープキス」の場面を文字通りに読めばそれほど単純なものではないだろう。ルイとのホモソーシャル的に見える関係もしかりである。
最後にレゴシの「新たな男性性」のありようと、彼の性的指向のゆらぎをみごとに表現している場面を指摘しておこう。第17巻ではレゴシの下宿にハルがやってきて、レゴシの性器を見せろと迫る場面がある。ズボンを下ろされながらレゴシは(見開きの印象的な場面で)「俺がメスウサギで/君がオスオオカミなら/君に抱かれて/君に食われてたら/どんなにいいだろうって…」とずっと思っていたと独白する。
この場面が表現する、「草食系」とも言われるような新たな男性性のあり方と、その中でゆらぐ性。この場面を『BEASTARS』の「クライマックス」と読んでも、あながち誤読とは言えないかもしれない。