*以下の記事では、『君の名は。』や『天気の子』、『おもひでぽろぽろ』、『マイマイ新子と千年の魔法』の内容と結末が述べられていますのでご注意ください。

『週刊少年ジャンプ』に人気連載中で、アニメ化もされて「ポスト鬼滅」の呼び声の高い『呪術廻戦』であるが、私はあまり重要にも思えない細部が気になっている。主人公の虎杖悠仁(いたどりゆうじ)の出身地が宮城県仙台市であり、都立呪術高専の1年生として同級生となる釘崎野薔薇(くぎさきのばら)が岩手(本人の言うところでは「盛岡まで4時間かかるクソ田舎」)である、という事実である。 

『呪術廻戦』公式HPより

 これは、作者の芥見下々の出身地が岩手と仙台の両方の説があり、岩手生まれで仙台育ちである可能性がある、という単純な事実によって説明ができるし、私としてもそれ以上に、彼らの出身地が作品のテーマに深く関わるとは考えていない。 

 ただ、『呪術廻戦』においてある程度のリアリティを持って描かれる空間が、一方では仙台の虎杖が通う高校であり、もう一方では「東京」を記号的に示す場としての「渋谷」(渋谷事変編)とせいぜい「原宿」であること(そして主人公たちの通う都立呪術高専は漠然と「郊外」と呼ばれる山あいにあること)は、日本における漫画やアニメ作品の地理的想像力のある種の典型となっているように思われる。 

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 今、「アニメにおける地方」を論じようとすると「いや、アニメは現在、さまざまな現実の場所を舞台としており、それが『聖地巡礼』というファン行動となって、当該地域に経済効果をもたらしている」という反応がありそうだ。 

 私はむしろ、そのようなアニメの新たな消費──地方を「盛り上げている」からすばらしいのではないかと言われそうな消費──の影で、「東京とそれ以外」という地理的な想像力の前提となる都市による地方の「搾取」や、アニメがその「搾取」を再び産んでいるかもしれないということを問題としたい。「聖地巡礼」的な盛り上がりは、そういった事実を覆いかくすものであるとさえ言えるかもしれないのだ。 

新海誠と「田舎」の搾取 

 この主題でまず論じなければならないのは新海誠作品だろう。それは彼の『君の名は。』(2016年)が上記の「聖地巡礼」的な消費の火付け役のひとつだったからだけではない。新海作品においては、「風景」がもう一人の登場人物なのだ。細密に描かれた風景が醸し出す場所の感覚、これを抜きに新海作品は語れないだろう。 

新海誠監督 ©︎文藝春秋

 『君の名は。』は二つの場所、つまり東京と岐阜県飛騨地方に設定された架空の町糸守町を舞台とする。物語は東京の高校生、立花瀧と糸守の高校生、宮水三葉の意識が「入れ替わる」という現象から始まる。同じ時間を共有しつつ入れ替わっていたと思いこんでいた瀧と三葉だったが、実は糸守は3年前の彗星の落下により消滅し、三葉を含む500人が犠牲になっていたことが明らかになる。瀧は時を超えた「入れ替わり」を利用して糸守の悲劇を回避しようとする。