『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』は不滅の記録と思われた『千と千尋の神隠し』を越え、日本映画の興行収入歴代1位になった。この空前の大ヒットをめぐって、さまざまな考察や論考の記事は増える一方である。

 朝日、毎日と言った大手紙の考察論考記事連発を皮切りに、保守系新聞『世界日報』はWEB会員限定記事で『「家族」重視の改憲派にとって「鬼滅」人気は追い風、保守紙は目を覚ませ』という記事を掲載、コンビニで見かけた『実話ナックルズGOLDミステリー』(オカルト特集増刊らしい)の表紙には「『鬼滅の刃』は人類滅亡を暗示していた!」という見出しが踊っていた。

 右から左まで乗っかりすぎだろう。イナバの物置じゃないんだから壊れても知らんぞ。

ADVERTISEMENT

 中でも映画公開前から様々な論争の焦点になっていたのが「作品のジェンダー観」に対する賛否である。

 以下、最終巻が初版395万部という空前の規模で発売されたとは言え、「アニメで放送するまでストーリー知りたくないんだよ! お前は西暦3030年まで『アルプスの少女ハイジ』の話だけしてろよ!」という方もいるかと思うので、ここからのネタバレにはどうかご注意いただきたい。

論争が勃発した、主人公の「長男だから我慢できたけど」

 さて、『鬼滅の刃』の中でも論争になりやすいのが表題にも挙げた単行本3巻における主人公・竈門炭治郎の「俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった」というセリフである。だが、このセリフが「作品の家族観、性別役割観を表している」という見方には少々納得がいかない。

劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』映画予告編より

 このセリフが出てくる前後を読めばわかるが、別に炭治郎が必殺技の名前を叫ぶみたいに「長男だったから我慢できたー!!!!」と長男ジェンダーロールスラッシュで鬼を両断し、鬼が「負けたよ……長男には……」とつぶやきながら倒れていくような、そういう作品のイデオロギーを代弁するようなセリフにはなっていないのである。

 というか普通に読んでいた読者にはわかることだと思うのだが、あのセリフは「追い込まれた炭治郎が死ぬほどどうでもいいことを引き合いに出して自分を鼓舞している」という半ばコミカルなセリフなのであって、このセリフが出るコマもきわめて力を抜いた小さなコマで処理されている。マンガの文法として、作品のテーマを象徴するセリフをこんな小コマで流すわけがないのであって、実際このセリフは戦っている鬼との勝負にもほとんど影響を与えていない。

 また、5巻で登場する鬼『累』との戦いでは、失った家族の代償として恐怖と束縛によって家族の役割を強制しようとする鬼に対し、「血の繋がりがなければ薄っぺらだなんてそんなことはない」「お前たちからは恐怖と憎しみと嫌悪の匂いしかしない こんなものは絆とは言わない 紛い物…偽物だ」という言葉が炭治郎の口から叫ばれる。単純な血縁主義と誤解されないように、明らかに意図して入れた台詞のように思える。