『鬼滅』に特徴的な“死の臭い”
最後に、ここからは『鬼滅の刃』に対する個人的な感想になるのだが、これほど「死」にこだわった作品、死の臭いがする作品はジャンプの大ヒット作の中では異例なのではないかと思う。
『鬼滅』の死の描き方は、『ドラゴンボール』や『ワンピース』とも違うし、『デスノート』の乾いた死とも違う。まるで最初から死そのものが主人公であるように、そして奇妙なことだが、一刻も早くこの「死についての物語」を描き終えなくてはならない何らかの理由があるかのように、この物語は明らかに描き急がれている。
18巻の時点で初版は100万部を越えて打ち切りの不安はなく、それどころかアニメ化を考えれば少しでも引き伸ばしたいはずの流れの中、スピンオフ、外伝としていくらでも読者の需要があるはずの逸話が単行本のなかで「入りきらなかった設定」として文章のみで記述されている。それはページ数の制約だけではなく、時間の制約でもあったように思える。
作者は時間に追われながら「死についての物語、死を受け入れる物語」を描き終えなくてはならない理由を抱え、それが作品の切実さ、切迫感を生んだのではないだろうか。
それは社会に対する政治的な思想表明と言うよりは、なんらかの理由で作者が抱いていた個人的なテーマであったような気がするのだ。
ハリウッドやジブリも実はそうであるように、リベラルと保守、男性と女性に同時に響く作品だからこそ巨大なヒットが生まれる。だがそれは同時に双方の陣営に作品を自分たちの思想の代弁者としてみなされる危険もひらく。人間という普遍的なものにふれた作品が、敵を撃つための道具ではなく、分断された社会に架けられた大きな橋として機能することを願いたいと思う。