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では、『鬼滅』はジェンダーフリーでポリコレか?

 しかしでは、『鬼滅の刃』は完全にリベラルでジェンダーフリーでポリティカルコレクトでアップトゥーデイトな文科省推薦作品なのか?と言われればそれもまたちがうだろう、と思う。

 朝日新聞の記事『「鬼滅の刃」で考えるナショナリズム 煉獄杏寿郎の教え』では、58歳の記者が「鬼滅の刃を見て宇宙戦艦ヤマトを思い出した」ことをきっかけに社会学者・大澤真幸氏のインタビューを通して鬼滅の刃に満ちる「自己犠牲」の精神の是非を慎重に論じる記事になっていた。

大澤真幸さん

 確かに『鬼滅の刃』にはある種の復古主義的な側面があるのだと思う。だが、インタビューなどでの発言から左派、リベラルと目される宮崎駿の作品にも、そうした復古主義の色彩はある。

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 宮崎駿のインタビュー集などで彼の発言に触れてきた観客は誰でも知っていると思うが、彼は現代の若者の快楽的、刹那的なサブカルチャーへの嫌悪感を隠さない。ジブリ映画の中で描かれる凛とした少年少女のキャラクターには、1941年生まれの宮崎駿が幼少期を過ごした戦中から戦争直後にかけて、国家に理想とされた「少国民」の面影がどこかに残っているのではないかと思う。

 かつて押井守が宮崎駿の『風の谷のナウシカ』のクライマックスで王蟲の前に身を投じて犠牲になり、そして復活するナウシカの描写を「特攻隊精神が充満している」と評したことは有名だが、一人の作家、一つの作品の中に矛盾した複雑な深層意識が渦巻くことは、優れた作家ほど珍しくない。だからこそ保守派も含めたマジョリティにリーチできるとも言える。

『風の谷のナウシカ』より

 そうしたものを政治的に徹底的に排除していけば、それが右にせよ左にせよ後にはプロパガンダ映画のようなものしか残らないだろう。