秘宝館のほうも、内部を見たことある人が少ないでしょうけど、過剰さに溢れています。日本で最初の秘宝館は、本書でも取材している三重県伊勢の「元祖国際秘宝館」で、1971年の開館。生みの親である松野正人さんは、地元でドライブイン・ホテルやボーリング場を経営して財を成した方です。あるとき、趣味で集めていた性器モチーフの民芸品を店に飾ったら、たいへん喜ばれたのがきっかけで秘宝館の構想を思いつきます。
そこで会社の重役会で提案したところ、自分以外は全員反対。それを見て松野さんは、秘宝館の成功を確信したといいます。松野さんいわく、会議で皆が賛成するのは前例のあることばかり。だれもが反対するのはまったく前例がない証拠で、自分のアイデアがオリジナルだと確認できたとのこと。重役会の反対を押し切ってつくられた「元祖国際秘宝館」は、口コミで広まり客足が伸びていったのでした。
こうしてみると昭和や平成とは、個人の強い思いを貫いて何かをつくることができた時代でした。もちろん個人が暴走して失敗した例もたくさんあったはずで、ラブホテルの回転ベッドや秘宝館は稀な成功例なのでしょうけど。
いまこういうものは、なかなかつくれないんじゃないですか。いろんなミーティングがあり、市場調査やデータが持ち出され、皆で検討を重ねるうちに、発案者の思いがすっかり薄まってしまったりする。突拍子もないヘンなことを実現しづらい世の中になっていますね。
なぜ「ラブホ」や「秘宝館」を取材し続けたのですか?
――都築さん自身は、「ラブホテル」「秘宝館」といったテーマをどう見出し、どんなモチベーションで取材を続けてきたのでしょうか。
都築 まずは単純に、エロが好きだからですよ。エロはたいていの人が関心あるでしょうしね。
それに、多くの人にとって身近なものをちゃんと紹介したい気持ちもあります。たとえば高級なラグジュアリー・ホテルに泊まる人よりも、ラブホを利用する人のほうが世には圧倒的に多いはず。なのにラグジュアリーなものばかりがインテリア雑誌やライフスタイル誌で特集されて、ラブホはメディアで取り上げられることもあまりない。それって何だかおかしくないですか? だったら僕はマジョリティの側をカバーして取材して紹介したい。
マジョリティが無視されるこうした逆転現象はよくあります。ファッション誌のページを飾るのはハイブランドの服ばかりだけど、ほとんどの人はそんなの持っていないし着ていない。せいぜい清潔感があればいいやというくらいの基準で、ユニクロやしまむらを愛用している人のほうがマジョリティです。情報を扱うメディア側も、ハイファッションのカッコよさを見せて憧れを掻き立てるのはいいものの、そこがマジョリティではないとわかったうえでやってほしい。