そのあと出した『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』も、だれも目を向けていなかった地方のおもしろいスポットを撮り歩いてまとめたもの。そこに写っているのは、いわゆる名の知れた観光地じゃありません。でも僕たちの暮らしている場所の大半、日本の国土の大部分は、無名に決まってます。そういうところにだってちゃんと見てみれば、おもしろいものはもちろんある。興味深いものは有名なところにだけあったり、有名な人のみがつくり出すわけじゃないんですよ。
コンプライアンスが厳しいとか不満をこぼしているヒマなんてないですよ
――最初の著作『TOKYO STYLE』が出てから30年。追いかけたいネタが尽きることはないのですか?
都築 やりたいことが尽きるなんてまったくありません。むしろ、やりきれなくて困ってます。いま毎週メールマガジンを書いて発行しているんですけど、やりたい企画がどんどん積み上がって、取材が全然追いついていない状態です。
僕みたいなことをしていくうえでは、ずいぶんいい時代になりましたよ。知りたいと思ったことが格段に調べやすくなって、発信や発表も前よりずっと容易になっています。
僕が『TOKYO STYLE』や『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』の取材をしていたころなんて、まだインターネットも普及していなくて、情報ひとつ探し当てるのもたいへんでした。実際どんな場所なのか? 行き方は? だれに話を聞けばいいか? など、いまなら検索すれば一発でわかってしまうことも、行動してみないかぎりわからないことだらけでした。まあ不便だったからこそ、失敗も含めて発見や探索の楽しみがたっぷりあったわけですけど。
写真だってそう。2000年代になるまではフィルムカメラが主流でしたから、大量のフィルムを荷物に詰め込んで出かけていって、ちゃんと写っているかどうかヒヤヒヤしながらフィルムを持ち帰って現像に出していたものです。発表場所にしたって、以前はいくらおもしろい記事をつくっても、雑誌がページをくれなければどうしようもなかった。いまなら自分でサイトでもSNSでもメールマガジンでもやって載せてしまえばいいのだから、ほんとうに楽になりました。
不景気だとか国全体の元気がないとかコンプライアンスが厳しいとか、現代に特有のつらさを挙げる向きもありますが、僕としてはいまがいちばん活動しやすくて楽しいですよ。
不満をこぼしていたり、思想を並べ立てているヒマなんて、まったくないと感じていますね。だって僕にはやりたいことがやりきれないほどあって、いつもすぐにでも、次の取材に行きたいとばかり考えているので。
撮影 橋本篤/文藝春秋