2023年12月12日、小津安二郎監督が生誕120年・没後60年を迎えた。今も国内外から支持される小津作品を語るうえで欠かせないのが、『晩春』『麦秋』『東京物語』の“紀子三部作”でヒロインを演じた女優・原節子の存在だ。
ここでは、ノンフィクション作家の石井妙子氏が丹念な取材をもとに書き上げた評伝『原節子の真実』(新潮社)より一部を抜粋して紹介する。小津の通夜で魅せた姿、そして映画に抱いていた思いとは——。(全2回の2回目/はじめから読む)
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節子にとって最後の作品となった『忠臣蔵』が公開されて間もなく、松竹系の映画館では、小津安二郎監督の『秋刀魚の味』がかかった。
『秋刀魚の味』は、13年前の『晩春』の焼き直しとも言える作品だった。岩下志麻が、かつて節子が演じた父親思いで婚期を逃しつつある娘、紀子の役どころを演じている。
小津映画に演じたいと願っていた女性像はなかった
小津映画を代表作とされることに、節子自身は不満を抱いていた。小津映画に敬意を払っていたことは確かであり、出演すれば評価されることもわかっていた。だが、彼女が心から演じたいと願っていた女性像はそこにはなかった。もっと躍動感のある画面のなかで、人生に果敢に挑んでいく烈しさを持つ女性を思う存分に演じたいと願っていた。
では、小津自身は、戦後の自作品に満足していたのか。
小津も最晩年は、「小津調」と言われる作品ばかりを周囲から期待されて作ることに不満を持っていたようである。しかし、映画界が斜陽化するなか、一定のファンがいる小津は「小津調」からの脱却を許されなかった。小津にもまた、烈しい女をヒロインとして描きたいという欲求はあり、だからこそ、「紀子」とは異なるヒロインを描いた昭和32年の『東京暮色』に期待をかけた。
だが、評価は低く、興行的にも成功せず、以後は、まるでシリーズもののように「嫁ぐ娘」の話を撮り続けるようになる。そこには複雑な思いもあったはずだと、傍らで小津を支えてきたプロデューサーの山内静夫は小津の心境をこう慮っている。
〈自分が目指したいと思うところと、自分に求められていることとの差のようなものを、或いは感じられたかもしれない〉(「諸君!」平成20年3月号)