そんな樋口を「硬派中の硬派の映画女優」と評したのは映画監督の五社英雄である。五社は彼女を主人公の女博徒の役で起用した『陽炎』(1991年)の公開を前に、《彼女を見てると、旬のうれざかりの女の色気をまきちらしながら、いざ、たべてごらんなさいと開き直られると、歯ごたえが強烈で、ぶっとばされてしまう風圧を感じますね。そんな凄味を硬質の色気の中にかくし味として持っているのが彼女の強みで、まだまだ何かをやる女優ですよ》と絶賛した(『週刊文春』1990年12月27日号。原文では「うれざかり」「やる」に傍点)。
ヌード写真集が社会現象に
「うれざかり」という言葉に呼応するように、『陽炎』公開と時期を同じくして篠山紀信撮影による写真集『water fruit』を刊行した。篠山とは20代初めに写真集を出して以来のつきあいで、このときは当初、写真集にする予定もないまま、そろそろ新しい写真をということで撮り始めた。撮影から半年ほどして、できあがった写真を見せてもらったとき、樋口はその迫力に驚き、最初は言葉が出なかったという。《でも自分で見て、とってもいい写真だと思いましたから、これを本にしたいと言われて、うん、それはいいと思って》出版を決める(『朝日ジャーナル』1991年11月8日号)。
このとき撮られたヌードには、それまで日本ではタブーとされてきたヘアが写っていただけに、マスコミではセンセーショナルにとりあげられた。これほどの騒ぎに発展するとは樋口にも予想外であった。雑誌の見出しなどで「可南子ヘア」だのと下世話な書かれ方をされたのには、自分たちが目標としていたものとはかけ離れていたため、結構傷ついたという。
それでも写真のできばえに対する自信は揺るがなかった。後年にいたっても、《あの写真には自信を持っているので、[引用者注:大騒ぎになったのは]不本意ではないです。作品として出しちゃったものは、騒がれようが騒がれまいが、何言われようがいいんです、私》ときっぱり言い切っている(『週刊文春』2002年5月30日号)。
「寅さんの世界とは水と油」
『water fruit』を出す頃までに樋口が登場した雑誌記事を読んでいくと、「生活感がない」という評がちらほらと目につく。映画プロデューサーの奥山和由も、対談で彼女が『男はつらいよ 寅次郎恋愛塾』(1985年)に出演したときを振り返り、《あれは途中で、どうしていいんだか訳がわからなくなっちゃって》と語ったのを受けて、《確かに寅さんの世界と樋口さんというのは、水と油って感じがしますね。あなたの生活感のなさは、下町情緒とは正反対のものだからね》と返している(『週刊現代』1990年12月1日号)。
そんなイメージがあっただけに、『陽炎』と『water fruit』と同じ1991年、映画『四万十川』で昭和30年代の高知の山村を舞台に、5人の子供を抱える母親を演じたことは、樋口にとって冒険であった。《そろそろ、年齢的[引用者注:公開当時32歳]にもこういう役をやっておいたほうがいいかなと思って》挑んだものの、《母親の気持ちになり切れなくて、最後まで迷いましたね。いやぁ、本当に難しかった》と顧みている(『MORE』1991年12月号)。