2023年12月19日、小倉昭和館は営業を再開する。

 昨年夏、北九州旦過市場一帯の火災で、昭和14年(1939年)からの歴史ある建物は、すべてが瓦礫になった。それでも三代目館主の樋口智巳さんは決してあきらめることなく、まちの人たちと、多くの映画人たちの応援に支えられながら、同じ場所に新しい映画館をつくった。この奇跡的な復活は「北九州のニュー・シネマ・パラダイス」と現地で話題になっている――。

 あの火事のとき、彼女が見ていたもの…焼け落ちていく建物、瓦礫の山から救い出したネオン看板、見つからなかった高倉健さんの手紙などを、樋口智巳さんの著書『映画館を再生します。小倉昭和館、火災から復活までの477日』(文藝春秋刊)より抜粋・再構成してお届けする。(全2回の1回目/2回目に続く)

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プレオープンには行列ができた ©西村忠

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 去年の夏も、暑かった…。

 小倉駅から歩いて10分。魚町商店街を抜けて大通りの信号を、旦過市場のほうに渡ったところの路地に、古い建物はありました。

 夜にはネオンが輝いていました。うちの裏手にある旦過市場では、4月に大きな火事があったばかりでした。

火災前の小倉昭和館。縦書きのネオンサインが目印だった

2022年8月、真夏の夜に電話が鳴った

 2022年、8月10日。最後のお客さまの背中を見送って、スタッフと翌日の予定を打ち合わせました。「暑いから売れるよね」と、冷蔵庫にはアイスクリームをパンパンに詰め込んでいました。お掃除のおばちゃんに残ってもらって、わたしたちは昭和館を出ました。

 真っ直ぐに自宅のマンションにもどって、夕食の仕度をしました。お魚を焼いて、味噌汁をつくります。お風呂に入って、洗濯機を回します。

 家族3人が、食卓に集まったのは夜9時よりも前で、「きょうは早いね」と、みんなで話していました。ちょっとだけ、お酒も飲んでいました。

 それぞれがパジャマを着て、ほろ酔い加減になったところ、電話が鳴りました。自宅の固定電話でした。こんな時間に誰だろう…と、受話器をとります。

 弟の声でした。