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 父は二代目館主として、映画館の栄枯盛衰に立ち会っています。あとで知ったのですが、わたしが「こなくていい」と言ったのに、父はひとり、燃え落ちる映画館にむかっていました。この現実を、自分の目で確かめるために…。

仲代達矢、栗原小巻、光石研らから続々と

 翌日は、すべての予定をキャンセルしました。

 ニュースは全国に流れました。あれほどの火事でしたが、亡くなった人はいません。怪我人も出ませんでした。

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焼失した小倉昭和館

 昭和館をずっと応援してくださっていた方々、仲代達矢さん、奈良岡朋子さん、栗原小巻さん、光石研さん、岩松了さん、片桐はいりさん、吉本実憂さん…。映画監督の平山秀幸さん、タナダユキさん、片渕須直さん、江口カンさん、松居大悟さん…。作家の村田喜代子さん、田中慎弥さん、福澤徹三さん、町田そのこさん…。数え切れない方々から、ご連絡をいただきました。

火災前のロビーには数多くの映画人のサインが並んでいた

 日中は、うだるような暑さでした。空は曇りがちで、あたりは蒸していました。雨が降らないのも、幸いでした。

 瓦礫の残骸が、積み上がっています。創業当初からあった神棚も、光石研さんの寄贈してくれた特設シートも、黒田征太郎さんが壁に描いてくれた「へのへのえいが」のイラストも、すべてが燃えてしまいました。

リリー・フランキー「あのネオンだけは残したほうがいい」

 残骸からガシャガシャと引き下ろされていたのは「昭和館(1)(2)」のネオンの看板です。

 わたしは作業している人たちに訴えました。ニュース映像を見ていたリリー・フランキーさんが、すぐに連絡をくれて、「あのネオンだけは残したほうがいい」と助言してくれていたのです。

「すみません! あのネオンの看板が、うちの象徴なんです。あれだけは取っておいてほしいんです」

 路地を照らしていたネオンの大きさは、およそ4メートルもあります。二度と光ることはないでしょう。それでもわたしには瓦礫とは思えません。

速達で届いた高倉健からの手紙はどこに…

 どうしても見つけたかったのが、高倉健さんからいただいた手紙でした。