皇太后の「御機嫌」をうかがう天皇
天皇は戦後もなお皇太后を恐れていた。皇后が戦時服である「宮廷服」を着続けることに天皇は反対し、「日本服」に着替えるべきだと考えていたが、「日本服についておたゝ様が御反対故、何ともいひ出しかね」(50年6月21日)た。皇太后は「所謂虫の居所で同じことについて違つた意見を仰せになることがある」(同年1月6日)から、「御機嫌のおよろしい時に今一度伺つたらどうだらう」(同年10月9日)とも話している。皇太后を恐れる気持ちは、皇后も同じだった。こんな些細な宮中の改革すら「御機嫌」をうかがわねばならなかったのだ。皇太后に対する天皇の過剰な物言いは、その裏返しでもあった。
皇太后とは対照的に、皇后に対する天皇の言及は驚くほど少ない。その実例を二つほど挙げてみよう。
「皇后様の御機嫌伺ふ。少し熱がまだあるが月のものが減とのことだとの仰せ」(50年2月7日)
「四月六、七日からの事で参拝となると良宮の方が都合がいゝかどうか、近頃は殆どないからいゝと思ふが其点日取を……、まアいゝだらう」(53年12月15日)
前者の「月のもの」は月経を指す。後者の「近頃は殆どない」は月経がほとんどないことを意味する。
「母」と「妻」に対する認識の落差
天皇が皇后の月経の周期を気にしているのは、宮中に血のケガレを忌むしきたりがあるからだ。皇后は月経になると祭祀に出られず、伊勢神宮の参拝もできない。後者の「参拝」は、54年4月に予定された神宮参拝を指している。天皇は田島に、皇后の月経に重ならないよう注意を促しているのだ。
女性の身体に関するきわめて私的な話題が公然と語られ、その情報が宮中で共有される。天皇は皇后を一人の人間としてよりはむしろ、生物学者の視点で見ているかのようだ。天皇にとって、「母」と「妻」に対する認識の落差は、あまりにも大きかった。
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2024年の論点100』に掲載されています。