2002年3月に発覚した「北九州監禁連続殺人事件」。起訴された案件だけで7人が死亡しているこの事件では、主犯の松永太(62)の死刑、内妻である緒方純子(61)の無期懲役判決が確定している。
判決確定までの裁判の流れ
父親が殺害された後、松永と緒方が監禁していた17歳の広田清美さん(仮名、以下同)が逃走したことで、彼らが逮捕されたのは02年3月7日のこと。その後、同年6月3日に福岡地裁小倉支部で初公判(清美さんへの監禁致傷罪や別の被害女性への監禁致傷罪と詐欺・強盗罪での審理)が開かれるが、9月18日に彼らが初めて殺人容疑で逮捕されたことで、公判は延期されてしまう。
松永と緒方に対しては、それから殺人容疑での再逮捕が続き、結果として彼らは7件の殺人罪で起訴された。そのため、殺人罪を審理する第3回公判が開かれたのは、03年5月21日である(この段階で6件の殺人罪で起訴済み。後に1件の殺人罪が追加)。
裁判迅速化法に基づき、03年10月以降は週に1回のペースで審理が行われたが、被害者があまりに多いため、両名に死刑を求める論告求刑公判が行われたのは05年3月2日で、松永と緒方に死刑判決が下されたのは、同年9月28日であった。
一審での死刑判決について、松永は福岡高裁に即日控訴し、緒方は弁護団に説得されて10月11日に控訴した。福岡高裁での控訴審は07年1月24日に始まり、同年9月26日に判決が言い渡されている。その際に松永の死刑判決は変わらなかったが、緒方は死刑が破棄され、無期懲役判決に減刑されている。
この二審判決を不服とした松永は最高裁に上告し、福岡高検もまた緒方への判決を不服として上告した。しかし最高裁は11年12月12日に、松永と福岡高検の上告を棄却。これをもって松永の死刑と緒方の無期懲役刑が確定したのだった。
今回、こうした裁判の流れをあえて事前に説明したのには理由がある。福岡地裁小倉支部から福岡高裁、さらには最高裁と、松永と緒方の裁判は3カ所で行われているが、そのうち福岡地裁と福岡高裁という、2カ所の裁判に関わっている人物への取材を行うことができたからだ。さらにいえば、その人物は裁判にとどまらず、松永逮捕直後からの捜査についても関与している。