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緒方が全面自供に転じたことが突破口に

 証拠類として、広田由紀夫さんや、緒方家の親族が一室に集められた写真、さらに彼らに書かせた念書などは発見、押収されていたが、遺体についてはその一部でも発見されたということは耳にしていない。

「それこそ風呂場の配管から、下水道まで調べたけど、なにも出てこなかった。写真や周辺の聞き込みで、この時期まではいて、それから消息を絶ったということはわかりましたが、清美さんの証言が頼りだった。捜査の流れが大きく変わったのは、やはり緒方が全面自供に転じたことでしたね」

 逮捕されて以降、取り調べで黙秘を貫いていた緒方は、父親の孝さん殺人容疑で02年10月12日に再逮捕され、11月2日に同罪で起訴されるまでの間に全面自供へと転じた。10月23日に緒方の弁護団が発表したコメントは、「緒方容疑者より、自分の意思で『私の家族のこと、松永のことを考えて、事実をありのままにお話しする気持ちになりました』との申し出がありました」というものだった。

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幼稚園勤務時代の緒方純子受刑者(1983年撮影)

 それにより、同じく黙秘を貫いていた松永も、自身の保身のために有利な供述をする必要が生まれていた。しかし、そこでも巧妙な答え方をしていたそうだ。

「『自分は関係ない。無罪です』と言ったり、『そこで誰がなにをやったか、私はいませんでしたから』っていう、 ずっと自分は関係ないって形の供述しかしなかった。自分で話を作っていれば、周辺捜査で客観証拠をかためて話の内容の矛盾を突けるけど、それができない。崩しようがない話ばかりするわけです。そこが彼の頭の良い部分でしたね」

地検は「100パーセント殺人罪での起訴」と意志を固めていた

「起訴段階で、これは傷害致死なんじゃないのといった異論はありませんでした。すべての事件について、100パーセント殺人でいいってことで、意見はまとまっていました」

 結果として広田由紀夫さんと緒方家親族6人の計7人に対する殺人罪での起訴を行い、論告求刑公判においては、松永と緒方の両名に死刑を求刑したのだった。

 福岡地裁小倉支部が下した判決は、すでに記した通り、松永と緒方の両名に対して死刑というもの。ただし、緒方の父である孝さんに対する事件のみ、殺人罪で起訴していたものが、傷害致死罪の認定に変更されている。

「傷害致死に落ちたことで、えっ? という思いはありました。ただ、証拠関係にやや難があると報告されていたので、殺人での起訴は思い切った選択だったんです。そういった経緯もあり、まあ他の6人は殺人で認められたから、いいんじゃないの、と。2人とも死刑判決ですしね。1件くらい殺意が飛んでも、これはまあしょうがないとなりました」

 そういう流れで、一審判決に対して松永と緒方は控訴しても、検察側が控訴することはなかったのである。