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未解決事件を追う

「下水道まで調べたけど、遺体は出てこなかった」7人が惨殺された「北九州監禁連続殺人事件」の元検事が明かす、難航した当時の捜査

「下水道まで調べたけど、遺体は出てこなかった」7人が惨殺された「北九州監禁連続殺人事件」の元検事が明かす、難航した当時の捜査

北九州監禁連続殺人事件、元検事の証言 #1

2024/01/05

genre : ニュース, 社会

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「これは広がりそうだとの印象」があった

 現在、福岡市で法律事務所を営む牧野忠弁護士は、松永と緒方が逮捕された翌月の02年4月に、福岡地検の刑事部長に着任。それから2年間、この「北九州監禁連続殺人事件」などに関わり、04年3月末に一旦福岡地検を離れるが、その2年後の06年4月からは福岡高検に公安部長として着任した。同事件の控訴審の担当として、答弁書などの作成に携わり、翌年1月から始まった控訴審には、公判担当検事として出廷している。牧野氏は言う。

「最初、(福岡地検の刑事部長として)着任する前に、福岡地検が現在どういう重要事件を抱えているか見たんですが、そのなかにこの事件(北九州監禁連続殺人事件)があった。これは広がりそうだとの印象はありました」

 02年3月6日の早朝、松永と緒方のもとから脱出した広田清美さんは、同市内に住む祖父母に助けを求めた。そして清美さんは迎えに来た祖父(祖母の再婚相手)に、「お父さん(広田由紀夫さん)は殺された」と伝え、ふたりは福岡県警門司署に被害を通報。その後、同県警小倉北署に被害を申告する。

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 事態を重大視した福岡県警は3月7日、清美さんへの監禁・傷害容疑で、松永と緒方を身元不詳のまま緊急逮捕した。それ以降、4月より同地検小倉支部から上がってくるこの事件の捜査についての報告を、福岡地検の刑事部長として、牧野氏は受けていた。

小学生時代の松永太死刑囚(小学校卒業アルバムより)

子供たちは「警察は敵だ」と徹底的に教育されていた

「あのふたりは逮捕当時に偽名を使っていたし、本名については黙秘していた。たしか清美さんも本当の名前は知らずに、別の名前を呼んでいたはずです」

 清美さんは小学4年生だった94年10月から、父親の由紀夫さんとともに、松永らと同居していた。その際、松永は「ミヤザキ」、緒方は「モリ」という偽名を名乗っていたことが判明している。また、松永と緒方の逮捕直後には、北九州市小倉北区にある「泉台マンション」(仮名)において、松永と緒方の子供である9歳と5歳の男児と、別の女性の6歳の双子男児が保護されたが、彼らにはある“教育”がなされていた。

「もうね、子供なんですけど、警察は敵だっていうふうに、徹底的に教育されているわけですよ。だから当初は警察の言うことはまったく聞こうとしませんでした」

 そうしたなか、清美さんは最初から、自分の父親と、緒方の親族6人が殺害されていることを口にしていた。彼女の供述に対して、福岡県警の動きは早かったという。それについては、私が以前に取材した、福岡地検小倉支部の検事として松永と緒方の取り調べを行い、彼らの一審における公判担当もした金子達也元検事(現在は弁護士)も次のように認めている。

「当時、小倉北署の刑事一課長がかなり鋭い人で、警察の初動が良かった。とにかく地検に連絡しろということで、私のところにもすぐに連絡が来たし、それでまあ、本部にも連絡して、捜査一課が入ってきて、瞬く間に態勢が整いました」