「あいつが弾けたんは、久留米の(私立)K高に行ってから。それからたい」

 2002年3月に発覚した「北九州監禁連続殺人事件」。起訴された案件だけで7人が死亡しているこの事件では、主犯の松永太(逮捕時40歳)と内妻である緒方純子(同40歳)が、緒方の親族などへの殺人罪(うち1件は傷害致死)に問われ、松永の死刑と緒方の無期懲役刑がそれぞれ確定している。

 松永が手を染めた凶悪な犯行と、生い立ちとの関連を調べていくなかで見えてきたのは、「女を食いものにする」という彼の思想が萌芽した時期について。冒頭の発言は松永の小中学校の同級生で、松永家にも出入りしていたC氏によるものである。

ADVERTISEMENT

不純異性交遊で退学、転校

 中学卒業後、県立M高校に進学した松永は、高校2年の終わり頃に、家出した女子中学生を家に泊めて不純異性交遊をしたことで、同校を退学になっていた。そして彼は、3年からは私立K高校に転入している。C氏によれば、それが松永の転機だったというのだ。C氏は続ける。

「M高校時代は松永の中学時代の同級生とかも多かろうが。地元やけん、正体を知られとることもあって、あいつもそげんパッとせんかったわけよ。やけど久留米にあるK高校には、あいつの過去を知る者はおらんけんね。それで一気に女関係が派手になったと」

写真はイメージです ©AFLO

 じつは松永がM高校を退学となったのは、家出した中学生とのことだけが理由ではなく、以前にも何度か不純異性交遊の発覚で停学になっていたことによる、累積処分だった。そのように、M高校時代もそれなりに女性関係はあったが、K高校に移ってからの方が、さらに輪をかけて盛んになったのだという。

「高校時代は松永の家に行ってタバコやら吸いよったけど、そこでの話題はたいがい女のことやったね。部屋は道に面しとって、窓から出入りできるし、夜に行こうが誰を連れて行こうが、あいつの親はなんも言わんかったけんね。放任家庭っちゅうやつたい。やけん便利に使わしてもらいよったと」

「あいつは極端にキレイな女の子には行かんたい」

 そう語るC氏は、その後の松永の行動に影響を及ぼす“助言”を口にしていた。

「あの当時、俺がよくいきがって『女を人と思っちゃいけん。女を“金づる”と思わな』って言いよったけんがくさ、その影響ばモロに受けて、松永は女に飯代ば払わせることにプライド賭けとったね。あと、あいつは極端にキレイな女の子には行かんたい。それよりはあんまりモテんで、自分に簡単になびくような子にばっか声をかけよったと」