1ページ目から読む
3/4ページ目

 しかも、新たな従業員を獲得するために、さらに卑劣な手段を用いていたことを、この冒頭陳述は指摘する。

〈(松永は)自らは善意の第三者を装って、上記従業員の口車に乗せられて他人名義の信販契約に保証させられたAに対し、「従業員が他人の名前を勝手に使って布団を売って、ワールドから逃げた。お前も契約書に署名しているから同罪だ。この分は働いて返せ。」などと、購入契約を解約したBに対しては、「よくも仕事を邪魔したな。ただで済むと思うな。どれだけの損害が出とると思うか。」などとそれぞれ申し向けて因縁を付け、同人に対して殴打・足蹴にしながら多額の損害賠償を請求した上、「布団を300万円分売ってくれたら帳消しにしてやろう。」などと申し向けるなどして、両名にワールド従業員として働くことを強要し、無給で上記同様の営業活動に従事させるなどしていた〉

 そうした状況での営業活動がうまくいくはずもなく、ワールドは設立から3年あまりの84年にはすでに、信販会社に対する弁済を、消費者金融からの借入れや空手形の振り出しで賄うようになっていた。

ADVERTISEMENT

中学生時代の松永太死刑囚(中学校卒業アルバムより)

前妻 “ジュンコ” への暴力

 しかし、それでもなお松永の“攻め”は続く。祖父や父親の反対を押し切って、85年4月には、父親名義でC銀行から5000万円の融資を受け、自宅敷地内に陸屋根鉄骨造り3階建て(延べ床面積約144坪)の事務所および倉庫兼居宅を新築するのだ。そのことについてD氏は言う。

「じつを言うと、その建築に関わった業者は、専門家からすれば、なんであんなところに頼むんやっていう、実績のない業者やったと。たぶん、松永の裏社会の人脈から、ごり押しされたんやなかろうかっていう話やった」

 当時、周囲に3階建ての建物は他になく、非常に目立つ建物で、1階は両親の住居と松永夫婦の住居、2階はワールドの事務所兼展示場、3階は社長室だった。このビルが建った際、松永は柳川市の料亭で招待客を200人ほど呼び、盛大な新築祝いを開いている。

 ここで松永夫婦という言葉が出てくるが、妻は緒方純子ではない。相手は“ジュンコ”という2歳年上の女性で、松永が高校時代の79年に、彼から声をかけて出会っていた。それから3年ほどの交際期間を経て82年1月に結婚。83年2月には男の子が生まれている。しかし松永の女癖が悪く、さらには家庭内暴力を振るうため、ジュンコさんは92年1月に息子を連れて、松永のもとから離れている。その後については、松永弁護団の冒頭陳述で以下のようにある。