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 松永は02年3月に逮捕されるまでの間に、数多くの女性に借金をさせるなどしてカネを得ていた。それはまさに女性を“金づる”にした行為にほかならない。C氏はK高校時代の松永について言う。

「顔立ちだけの話やけど、それはもうほんと、男が見てもホーッて感心するくらい、男前やったと。あいつもそれが自分の武器やと知っとったからね。次から次へと見境なく女をコマしよった。後になって、あいつはいろんな女を食いものにしてカネば得とろうが。そうするとが手っ取り早いて思うたとは、その頃の経験があったからやろうね」

暴力団員と繋がりがあるかのように装い、同級生を引き込み…

 80年3月にK高校を卒業した松永は、福岡市内にある菓子店に入社する。だが、すぐに彼は退職している。その理由について、福岡地裁小倉支部で開かれた一審における、松永の弁護団による冒頭陳述では、以下のように述べられている。

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〈菓子店に入社したが、「会社は同じことの繰り返しでつまらん。人に使われているようじゃ金儲けはできない。」と考え、勤め始めてから10日ほどで退職した〉

 その後、親戚の経営する布団販売店で働くなどしたが、そこも短期間で退職し、柳川市で祖父から引き継いで父親がやっていた、布団訪問販売業を手伝うようになった。

中学生時代の松永太死刑囚(中学校卒業アルバムより)

 そんな松永は81年5月に柳川市の自宅を本店とする「有限会社ワールド」(以下、ワールド)を設立する。その際に高校時代の同級生だった日渡恵一さん(仮名、以下同)や坂田昇さんを従業員として雇っている。こうした状況について、当時のワールドの内情を知る、松永の友人だったD氏は明かす。

「松永が従業員にしたのは、高校時代の同級生といっても、あいつの意のままになる連中ばかりよ。そいつらに命じて、高校の卒業生名簿に載っとる相手に、片っ端から営業をかけさせよったと」

 高校時代から、松永は自分が暴力団員と繋がりがあるかのように装っていた。そのことで、彼を恐れて逆らえなかった同級生ばかりを、会社設立にあたって自社に引き込んでいたのだ。

卑劣な営業の実態

 そこで松永が従業員に命じた営業の実態については、一審における検察側冒頭陳述が、次のように説明している。

〈出身高校の卒業生名簿等に記載された者に対し、先輩あるいは同級生を装って近づき、「在庫を抱えて倒産するかもしれないので協力して欲しい。」などと持ち掛け、その同情心に付け込んで信販契約を締結させて高額な布団セットを購入させたり、その無知に付け込んで名義貸しや架空名義で信販契約を締結させて同様の布団セットを購入させて、信販会社から支払われる立替払金を領得して暴利を貪る、狡猾な詐欺的商法を繰り返すものであった〉